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アモン神(アメン神)

古代エジプトの多神教でのテーベの守護神。新王国時代にはアモン=ラー信仰となった。一時、アメンホテプ4世の改革で衰えたが、復活した。

 古代エジプトにおいて信仰されていた多神教の中の主神の一つ。ギリシア語でアモン(Ammon)と表記するが、本来のエジプト語ではアメン(Amen)となる。エジプト中王国以来栄えていたナイル川中流の都市テーベの守護神としてあがめられていた神。新王国時代には古来の太陽神ラーと一体化して、アモン=ラー信仰(アメン=ラー)が起こり、テーベのカルナック神殿を建設し、多数の神官が組織されて、神官の勢力は王朝の政治を左右するほどであった。アモン神の信仰は基本的には多神教で、アモン神のほかに、いろいろな神が存在した。(以下ではエジプト語表記に従いアメンとする)

新王国とアメン神官団

 エジプト新王国のファラオは、さかんにシリアやパレスティナに出兵した際、その戦勝を祈願して、テーベのアメン神殿に多額の寄進をした。戦勝すると戦利品や征服地の租税はアメン神殿にあたえられた。そのため、アメン神殿を管理するアメン神官団は莫大な財産を所有するようになり、発言権を増していった。彼らが王位継承などにも干渉し、政治に介入するようになると、ファラオの側も次第に警戒するようになり、その力を削減することを考えるようになった。
イクナートンのアマルナ革命 新王国のアメンホテプ4世は、一神教信仰であるアトン神信仰を創出して、自らイクナートンと改名し、都もテル=エル=アマルナに移し、そちらにアトン神の大神殿を建てた。これは、テーベのアメン神官団の勢力を抑えることを目指すものであった。このアマルナ革命によって、アメン神殿は大きな打撃をあたえられたが、イクナートンの死後にはその勢いを取り戻し、改革は否定され、アメン神の権威は回復した。

Episode 意外なところに残るアモン神

 エジプトの神アモン(アメン)は、エジプトでは羊の姿で描かれることがあった。オウムガイの一種で化石で現れるものにアンモナイト(ammonite)があるが、巻き貝であるその姿が羊の角に似ているので、アモン神に因んで名付けられたそうです。また、アモン神殿の近くからとれる塩のことをラテン語で sol ammoniacum (ソル-アンモニアクム)と呼んだことから、臭いの強い化学物質をアンモニアとなづけられたそうです。<『語源から判る英単語集・暦単(西洋史編)』>