アメンホテプ4世/イクナートン
アメンヘテプ4世/アクエンアテン
前14世紀、エジプト新王国の王。一神教アトン神の信仰を強制し、イクナートンと改名、宗教改革を実施した。
アメンヘテプ4世/アクエンアテン
カイロ・エジプト博物館
Wikimedia Commons
1887年、テル=エル=アマルナ(単にアマルナともいう)の廃墟から偶然、多数の楔形文字の刻まれた粘土板が発見され、アマルナ文書として知られている。これはエジプト新王国とヒッタイトやミタンニなどの前14世紀のオリエント諸国の王との外交文書であり、それによればこの時代は比較的平穏な外交関係が維持されていた。
アマルナ革命
アトン信仰は自然神でありながら、愛によって人々を救済するという、普遍的な宗教であり、エジプトと西アジアという異なる民族と文明を内包する地域を支配する専制君主に適した新しい宗教として創り出された。イクナートンはその信仰に基づき、独自の美術表現を推奨し、それはアマルナ美術と言われた。この一連の宗教改革は「アマルナ革命」と言われる。しかし、伝統的なテーベを拠点とするアメン神をまつる神官団や官僚たちの反発を受け、次の王ツタンカーメン王の時には都はメンフィスに移され、「アマルナ革命」は否定された。第19王朝のラメセス1世はアメンホテプ4世を「異端の王」として断罪し、アマルナを徹底的に破壊し、その王名も抹殺した。