印刷 | 通常画面に戻る |

アメンホテプ4世/イクナートン

前14世紀、エジプト新王国の王。一神教アトン神の信仰を強制し、イクナートンと改名、宗教改革を実施した。

 エジプト新王国第18王朝の王(在位前1364年~前1347年ころ)。エジプト新王国が強大となり、西アジアをも支配するようになると、王権のあり方も変化してきた。新王国は、はじめテーベの守護神アメン神(アモン)と太陽神ラーが合体し、アメン=ラー信仰を中心とする多神教が行われていたが、第18王朝のアメンホテプ(アメンヘテプとも表記。「アメン神は満足し給う」の意味)4世は自らの神格化と一神教への移行をはかり、アメン=ラー信仰を否定して、唯一の絶対神としてアトン神(アテン)信仰を創出した。自らも王名をイクナートン(アクエンアテン、またはアケナアテンとも表記。アトン神にとって有用な者、の意味)と改名し、都をテル=エル=アマルナ(「アケト・アテン」と命名された)に移した。この一種の宗教改革を主とした改革を、アマルナ革命という。
 1887年、テル=エル=アマルナの廃墟から偶然、多数の楔形文字の刻まれた粘土板が発見され、アマルナ文書として知られている。これは新王国とヒッタイトミタンニなどの前14世紀のオリエント諸国の王との外交文書であり、それによればこの時代は比較的平穏な外交関係が維持されていた。

アマルナ革命

 アトン信仰は自然神でありながら、愛によって人々を救済するという、普遍的な宗教であり、エジプトと西アジアという異なる民族と文明を内包する地域を支配する専制君主に適した新しい宗教として創り出された。イクナートンはその信仰に基づき、独自の美術表現を推奨し、それはアマルナ美術と言われた。この一連の宗教改革は「アマルナ革命」と言われる。しかし、伝統的なテーベを拠点とするアメン神をまつる神官団や官僚たちの反発を受け、次の王ツタンカーメン王の時には都はメンフィスに移され、「アマルナ革命」は否定された。第19王朝のラメセス1世はアメンホテプ4世を「異端の王」として断罪し、アマルナを徹底的に破壊し、その王名も抹殺した。
印 刷
印刷画面へ