線文字B
古代ギリシアのミケーネ文明期の文字で、ギリシア語を表記していたことが判明した。ミケーネ文明崩壊と共に忘れ去られていたものを、1953年、イギリスのヴェントリスが解読した。
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ミケーネ文字の解読の遅れ
発見者のエヴァンズはこれらの文字をミノア文字と総称したが、現在では一般的にミケーネ文字と言われる。この三種類のミケーネ文字の解読が試みられたが、解読の成否はその文字で書かれたことばが何語であるかを正しく決定することであった。エヴァンズはクレタ島と本土に同じ線文字が発見されていることをクレタ人が本土支配したためであると解し、したがって線文字は非ギリシア系のクレタ人のことばを表示したものとする立場を強く主張した。このように第一発見者であり、権威のあるエヴァンズが線文字は非ギリシア人の文明のものと考え、ギリシア語との関連はないと主張したため解読は遅れ、しかもエヴァンズは発掘した線文字B資料の全面公開を行わなかった。エヴァンズは自ら発見した文字を解読できぬまま、1941年に死去した。こうして線文字Bの解読は戦前には進展しなかったが、新たな発掘品が増加してくると、本土のギリシア人がクレタ島を支配したとする説が有力となり、線文字を用いたのはギリシア人であることを前提に、解読が進められることとなった。
ヴェントリスによる解読
ようやく第二次世界大戦後の1953年に、イギリス人のヴェントリスによって、古いギリシア語を表記したものであることが判明した。ヴェントリスは若い建築家であったが、少年の頃からエーゲ文明に異常な興味を持ち、線文字Bのテクストを綿密に分析してデータ化し、暗号解読の方法を用いて解読に成功した。結果を発表するにあたって言語学者のチャドウィックの協力を得た。イギリス人はこの快挙を、ヒラリーによるエベレスト登頂にならぶ1953年の十大事件にかぞえた。しかし、1956年9月6日、この天才は交通事故によって34歳で急逝してしまった。線文字Bは、現在ではミケーネ文明期の文字として認められ、その解読が進んでおり、それまでのホメロスが伝える歴史の実態が明らかになっている。しかし、線文字Aの解読はまだ成功していない。これを、セム系の言語とするか、ヒッタイトに近いインド=ヨーロッパ語と見るか、二つの立場が対立している。