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マッサリア/マルセイユ

ギリシア人の植民都市で、現在のマルセイユ。地中海交易の中継地として栄え、マルセイユは現在もフランス有数の港湾都市となっている。

 地中海に面した南フランス最大の港である現在のマルセイユ。前600年頃、イオニア地方のフォカイアの人々が移住して建設したギリシア人の植民市として始まる。マッサリアは西地中海の交易の中心として栄え、同地の商人は現在の南フランスからスペインにかけて進出した。
 さらにブリテン島産の錫(すず)はビスケー湾からピレネー山脈北側を通ってマッサリアに運ばれ、そこからローマにもたらされていた。そのためマッサリアはローマにとって重要な都市となり、ガリア地方への進出の拠点ともなった。前3世紀末、カルタゴがイベリア半島に進出すると、マッサリアを拠点としたローマの西地中海交易はその脅威を受けるようになった。前218年に始まったローマとカルタゴの第2次ポエニ戦争は、その前年の前219年にイベリア半島の東岸の港町ザグントゥムをめぐって両者が対立したことが直接の要因であったが、その背景にはマッサリアを中心とした西地中海交易の利害の対立も背景にあったものと思われる。

貿易港マルセイユの繁栄

 マルセイユは、中世の十字軍時代には自治都市であり、十字軍の船団の出港地として栄えたが、1481年にフランス王領に編入された。その後もフランス王国の南の出入り口としての重要性が増していった。
 第2次世界大戦後も国際的な貿易都市として活気があり、賑やかだったが、1970年代には麻薬のヨーロッパからアメリカへの中継地とされ、マルセイユ・コネクション(あるいはフレンチ・コネクション)といわれて問題化した。1972年と1975年の2回、ジーン・ハックマン主演で映画化され、日本でもヒットした。2014年にはフランスでも映画化されている。
 マルセイユは地中海を隔ててフランスの旧植民地アルジェリアへの出港地でもある。そのためアルジェリアからの移民も多い。そのマルセイユのアルジェリア移民の子として生まれ、サッカー選手となったのがジネディーヌ=ジダンである。1980年代末から90年代にスペインリーグやワールドカップで活躍、フランスで最も有名なサッカー選手となった。
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