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ガウガメラの戦い/アルベラの戦い

前331年、アレクサンドロスとアケメネス朝ペルシアの戦い。ガウガメラを主戦場として衝突し、アレクサンドロスが大勝、アルベラの戦いでダレイオス3世を敗走させた。

 前331年10月、アレクサンドロス東方遠征途上、ティグリス川を超え、ガウガメラとアルベラの付近でアケメネス朝ペルシア帝国ダレイオス3世軍と対決した。主戦場はガウガメラだったので「ガウガメラの戦い」というのが正しい。ペルシア側は戦車部隊やインドの戦象を動員して防衛したが、アレクサンドロス軍が斜線陣を採用し、迅速に動いて大勝し、ダレイオス3世はふたたび敗走してエクバタナに逃げ、アレクサンドロスはバビロンに入城する。

アレクサンドロスの勝利

(引用)前332年10月1日のガウガメラの戦いはアケメネス朝の命運を決した。これはアレクサンドロスが東方遠征で勝利を得た最大の戦闘であった。戦いの後、アケメネス朝のダリウス三世(ダレイオス3世)は再起を期してミディア方面へ逃走し、アレクサンドロスはダリウスを深追いすることなくバビロンへ向かい、さらにダリウスの王宮のあるペルセポリスを占領し、住民を殺戮し、掠奪をほしいままにした。アレクサンドロスがここで奪った財宝は十二万タレントに達し、食器などを別にして、二頭立ての馬車一万台、ラクダ五〇〇〇頭がそれをはこぶために動員されたという。アレクサンドロスはこれらの財宝を近親や側近に分け与えた。
 これ以後、アレクサンドロスはコリント同盟の盟主マケドニアの王としてではなく、もはやアケメネス朝の合法的王として遠征を続けた。彼はひそかにインド遠征という遠大な計画を立てていたのである。<加藤九祚『中央アジア歴史群像』1995 岩波新書>