ペルシア帝国の滅亡/ダレイオス3世
前330年、アレクサンドロスがペルセポリスを破壊。同年、ダレイオス3世も殺害されてアケメネス朝ペルシア帝国は滅亡した。
前331年、アルベラの戦い(ガウガメラの戦い)に勝利したアレクサンドロスは、バビロン、スサに無血入城し、前330年、アケメネス朝ペルシア帝国の都ペルセポリスに入り、それを焼き払った。ペルセポリスを焼き払ったことは、アレクサンドロスはペルシア戦争の復讐であると言ったというが、文明の破壊者であったことも事実である。また彼が新たな専制君主としてアジアを支配する決意の現れでもあった。
さらに前331年、アルベラの戦いで敗れて戦場から逃れ、ペルセポリスには戻らず、北方のエクバタナに入った。ペルセポリスを占領したアレクサンドロスが、ダレイオス3世のいるエクバタナに向かって進撃すると、ダレイオス3世は軍を立て直してもう一度決戦を挑もうとしたが、その臣下は王を見放して次々と離脱し、アレクサンドロス陣営に帰順した。アレクサンドロスはアケメネス朝ペルシアの都ペルセポリスに向かい、そこを焼き討ちした。
ダレイオス3世
アケメネス朝最後の王ダレイオス3世(在位前336~前330年)は前333年、小アジアに侵入したアレクサンドロスをイッソスの戦いで迎え撃ったが大敗し、逃亡した。このとき戦場に同行していた、王妃、王子らはアレクサンドロスの捕虜となった。さらに前331年、アルベラの戦いで敗れて戦場から逃れ、ペルセポリスには戻らず、北方のエクバタナに入った。ペルセポリスを占領したアレクサンドロスが、ダレイオス3世のいるエクバタナに向かって進撃すると、ダレイオス3世は軍を立て直してもう一度決戦を挑もうとしたが、その臣下は王を見放して次々と離脱し、アレクサンドロス陣営に帰順した。アレクサンドロスはアケメネス朝ペルシアの都ペルセポリスに向かい、そこを焼き討ちした。
ペルシア帝国の滅亡
ダレイオス3世は乗っていた戦車も捨て、命からがらの逃避行であったが、前330年、部下のバクトリアのサトラップ(知事)ベッソスがクーデターをおこし、拘束されてしまった。その知らせを受けたアレクサンドロスは砂漠を徹夜で走破して迫ると、ベッソスはダレイオス3世を刺殺して逃走した。したがって、アケメネス朝が滅亡は前331年ではなく、前330年という事になる。ダレイオス3世は享年50歳。アレクサンドロスは彼の遺体をペルセポリスに送り、丁重に葬るよう指示した。<森谷公俊『アレクサンドロスの征服と神話』興亡の世界史1 2007 講談社 p.148>