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バビロン

メソポタミア南部、バビロニアで栄えた古代都市。前1900年頃からバビロン第一王朝として繁栄が始まった。新バビロニアのネブカドネザル王はユダ王国を亡ぼしたとき多くのヘブライ人をこの地に連れ去り捕囚とした。前538年、この地を征服したアケメネス朝ペルシアのキュロス2世はその捕囚を解放した。その後のパルティア、ササン朝とも都をクテシフォンにおいたことにより、バビロンは次第に衰退することとなった。

バビロン第一王朝の都

バビロン遺跡 GoogleMap

古代オリエントメソポタミア地方の南部、バビロニア地方の中心地で、最も繁栄した都市の一つ。ユーフラテス川中流、バグダードの南方にあった。もともと「神の門」を意味するマルドゥク神の神殿があった宗教都市であったが、紀元前1900年頃、アムル人バビロン第1王朝(古バビロニア)の都となってから繁栄した。『旧約聖書』に出てくるバベルの塔はバビロンのジッグラトのことだと言われている。その後、ヒッタイトの支配が及んだ後、前15世紀後半にはカッシート(バビロン第3王朝)の支配を受けた。前8世紀の終わりごろ、アッシリア帝国に征服され、その支配のもとで、都ニネヴェに劣らない都市として栄えた。

新バビロニア時代

バビロンのイシュタル門

バビロンのイシュタル門。
(トリップアドバイザー提供)

 アッシリア帝国が崩壊し、前625年、新バビロニア(カルデア)がメソポタミアに成立するとバビロンは再び都となった。その最盛期の前6世紀、ネブカドネザル王(2世)は、イェルサレムユダ王国を滅ぼし、ヘブライ人をバビロンに連行した。これはバビロン捕囚という苦難の歴史として旧約聖書に伝えられている。
イシュタル門 ネブカドネザル王は、アッシリア帝国滅亡時に破壊された都市バビロンを復興させた。特に、イシュタル門は釉薬をかけた彩色煉瓦でバビロンの主神マルドゥク神のシンボル動物などを造形し、青く光る巨大な門であった。バビロンはイスラーム勢力の進出によって廃墟となり、それと共に忘れ去られていたが、1899年から1917年まで、ドイツ隊による発掘が行われ、遺跡として脚光を浴びることとなった。その時発見されたイシュタル門は、ドイツに持ち去られてベルリン博物館で復元されている。またバビロンの王宮には「空中庭園」があったというが、その仕組みはよく判っていない。
バビロンの捕囚 ネブカドネザル王がパレスチナからバビロンに連行したヘブライ人は「バビロンの捕囚」といわれていおり、ヘブライ人の後裔であるユダヤ人が、民族として自覚するようになり、そこからユダヤ教という民俗宗教が興った、とされている。しかし実際には「捕囚」といったイメージとは異なり、移民としてバビロン周辺に入植させるのが目的だったとも言われている。ただしそこには強制された面も強く、捕囚と受け取られていた。

ペルシア帝国とバビロン

 新アッシリアは前538年にイラン高原から興ったアケメネス朝ペルシアキュロス2世によって滅ぼされた。バビロンに入城したキュロス2世は捕囚となっていたユダヤ人を解放した。これは多分に彼らの信仰の自由と認めたという、ペルシア帝国の宗教寛容政策からくる措置であったと思われる。
 バビロンはアケメネス朝の都スサ、ペルセポリスと並ぶ皇帝直属の都市となった。ペルシア帝国全盛期の皇帝ダレイオス1世ペルセポリスを建設して首都としたが、春はスサを、冬はこのバビロンで居住したので、バビロンは副都の役割を担った。ダレイオス1世による広大な帝国領の統治の上で、メソポタミアの中心都市としてのバビロンの政治的・経済的な重要性は続いていたと言える。
 ダレイオス1世の次のクセルクセス1世のとき、ペルシア人の支配に対するバビロンの反乱が起こった。クセルクセス王は懲罰のためにバビロンを攻撃、都市神マルドゥクの神殿を破壊した。これによって都市バビロンの栄華の時代は終わった。

バビロンの衰退

 バビロンはペルシア帝国の重要な一都市として存続していたが、前331年、アレクサンドロス大王が東方遠征の途上に入城した。大王はその後ペルシア帝国を滅ぼし、中央アジア、インドまで進出した後、この地に戻り、前323年にバビロンで死去した。その後はいわゆるヘレニズム諸国の一つセレウコス朝シリアの支配下に入ったが、セレウコス朝は都として新たにセレウキアを建設した。その後、イラン人国家を復活させたパルティアはチグリス川中流に都クテシフォンを建設、次のササン朝ペルシアもその都を継承したので、メソポタミア地方の政治の中心と繁栄はそちらに移り、紀元前1900年頃から続いたバビロンの繁栄は失われ、寒村となってしまった。

アラブ=イスラーム圏に入る

 さらにイスラーム勢力がこの地を征服して、8世紀の中頃にアッバース朝が新たな都市バグダードを建設してからは、砂漠に埋もれてしまった。

Episode フセインによるバビロンの復元

 現代イラクの独裁者サダム=フセインは自らをネブカドネザル王になぞらえ、1978年に国家的事業として新バビロニア時代のバビロンの復元事業を行った。ドイツのベルリン博物館に持ち去られた有名なイシュタル門もバビロン(現在はアル=ヒッラという)に再建したが、その大きさは実物の半分にとどまったという。サダム=フセインは2003年にアメリカ軍によって捕らえられ、失脚したが、イラク情勢が依然として混迷するなか、バビロンの遺跡がどうなったか、心配なところである。