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徴税請負人

古代ローマの属州で徴税を請け負った有力者。元老院議員経験者である総督のもとで、騎士身分の者が徴税請負人となり、属州の徴税や公共事業を請け負った。

 古代ローマにおいて、属州の徴税や公共事業を総督にかわって請け負う人。旧来の貴族ではなく、新興貴族にあたる騎士(エクイテス)といわれる有力者が任命され、プブリカヌスといわれた。徴税請負人になると、規定の額より多くの税額を徴収して、差額を総督の収入とし、自らも着服することができ、私腹を肥やし、富豪に成長するものが多かった。また属州民にとっては大きな負担となった。徴税請負人として富を貯えた騎士身分の人々は、元老院議員クラスの下の支配階級を形成し、新興勢力として内乱の1世紀の時期の平民派の支持母体となり、さらに帝政初期の元首政を支える存在となった。

徴税請負人の具体例

 属州シチリアの総督ウェレスのもとで、徴税請負人アプロニウスがどのような利益を得たか、次のような例がある。前71年に総督ウェレスからレンティーニというポリスの小麦の「十分の1税」を21万6000モティエ(量の単位。1モディエは8.754リットル)で請け負い、レンティーニ人とは54万モディエを支払わせる契約を結んだ。この差額の32万4000モディエが「儲け分」である。その他、54万モディエの6%、すなわち3万2400モディエをそれに付加させ、さらにリベートとして3万モディエの小麦に相当する金額を受け取った。つまり38万6400モディエを手にしたわけである。ローマ人が1年に必要とする小麦の量がせいぜい40モディエであったから、この利益は莫大だった。現地の生産者がそれに従っていたのは、アプロニウスが「お前たちは脱税しようというのか」という恫喝があったからだ。<吉村忠典『古代ローマ帝国』1997 岩波新書 p.103>

徴税請負人の特質

 属州という海外領支配の果実の大きな部分は騎士=資本家層の手の中に集中された。古典古代の都市国家はすべて(市民の市行政への直接参加が原則であったから)官僚制を発達させなかった。そのため、国家事業を遂行するためには請負人に頼らなければならなかった。都市国家が肥大化したローマも官僚制を発達させることはなく、請負人に依存する度合いは最も強かった。
 また、ローマの国家事業請負制度は、イタリアにおいてローマ市民権による完全な私的土地所有を担保としなければならなかった点が特徴であり、ローマ市民共同体による海外領経営によって徴税請負人が資本を蓄積し、そのことが市民共同体の分解をもたらしたと言える。<弓削達『ローマ帝国論』初刊1966 再刊2010 吉川弘文館 p.92>

徴税請負人と騎士(エクイテス)

 前218年に元老院議員は原則として商業活動が禁止された。そのため、従来のパトリキやノビレスといわれた閥族以外の騎士(エクイテス)といわれる層の中から商業に従事し富を蓄えるものが現れた。彼らはその富を背景に、ローマの国家事業の請負に進出するようになった。ローマの国家事業請負制度は第二次ポエニ戦争の時、公共事業・土木請負・戦時の食糧、軍衣供給などから始まり、属州が拡大して元老院議員経験者が総督に任命されると、騎士が徴税請負人として十分の一税などの徴税業務や塩の専売業務、鉱山の採掘権、森林・漁業権の執行などを請け負うようになった。これらの請負契約は、ローマで戸口監察官との間で結ばれ、初めは個人が契約したが、前2世紀の初めには請負人・保証人・出資者・実際の業務を担当する主任・その部下の奴隷などからなる一種の会社組織が現れている。<弓削達『同上』 p.95>