万民法
ローマ市民だけを対象とする市民法に対して、帝国内のすべての自由民に該当する普遍法を言う。212年のカラカラ帝の時に実現した。
万民法という概念は、ローマ市民権を持つものを対象とした市民法(十二表法に始まる)に対し、市民以外のものも含む、普遍的な法という意味で、ローマで用いられていた。ローマの征服が進み、その支配下にローマ人以外の多くの人々が含まれるようになると、市民法だけでは処理しきれなくなってきた。
ローマ帝国が衰退すると万民法の理念も衰え、法による社会秩序の維持に代わってキリスト教の宗教倫理が社会を律する時代である中世となり、次いでルネサンス期には「自然法」の理念がグロティウスなどによって提唱されていく。
市民法から万民法へ
そこで、212年にカラカラ帝がアントニヌス勅令を発布し、ローマ帝国の領内の全自由人に市民権を認めることとした。それ以後は、ローマの法律は万民法として機能するようになる。 → ローマ法ローマ帝国が衰退すると万民法の理念も衰え、法による社会秩序の維持に代わってキリスト教の宗教倫理が社会を律する時代である中世となり、次いでルネサンス期には「自然法」の理念がグロティウスなどによって提唱されていく。