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キリスト教の国教化

392年、ローマ帝国のテオドシウス帝がアタナシウス派キリスト教を国教とし、それ以外の宗教、宗派を禁止した。

キリスト教信仰の広がり

 ローマ帝国は、313年にミラノ勅令をだし、キリスト教の公認に踏み切ったが、当時はキリスト教そのものの教義はまだ定まっておらずにさまざまな解釈が存在していた。また、帝国領内にはマニ教ミトラ教などの異教の信仰も盛んであり、さらに古来のローマの神々への偶像崇拝や伝統的な儀礼も残っていたので、帝国の宗教統制上、かえって混乱が生じてきた。

キリスト教の国教化

 そこで皇帝テオドシウス帝は、380年に、当時は分割統治だったので、他の二人の皇帝(グラティアヌス帝とウァレンティニアヌス帝との「三帝勅令」として、まずキリスト教の国教化を定めた。さらに翌381年に開催された第1コンスタンティノープル公会議において、「父と子と聖霊」は本質において同一であるというアタナシウス派三位一体説を完成させ、キリスト教正統として確定した。ただ、この時点では他の宗教団体も同様に信仰、布教が認められていた。

他の宗教の禁止

 392年、テオドシウス帝は、アタナシウス派キリスト教以外の異教の祭礼と供犠を法的に禁止した。この勅令によって、アタナシウス派キリスト教はローマの唯一の宗教、つまり国教とされたのである。それまでの伝統的なローマの神々や、ミトラ教の太陽神信仰などは禁止されることとなった。
注意 このように、「ローマ帝国のキリスト教国教化」は、まず380年に国教として定められ、392年に他の宗教が禁止されて、唯一の国教となった、という経緯を取っているが、高校教科書などでは392年を以て国教となったと記述するのが一般的である。

オリンピア競技会の終わり

 キリスト教国教化に伴い、393年にローマ領内のギリシアで、ゼウスを主神とするオリンポス十二神の祭礼が行なわれると、神殿の財産を没収して異教禁圧への断固とした姿勢を示した。これに伴いギリシアの古代オリンピア競技会も終わりを告げた。
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