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ナーガールジュナ/竜樹

クシャーナ朝時代の僧で大乗仏教思想を大成した人物。2世紀の中頃、デカン地方を中心に活動。「空」の思想を主とした大乗仏教の理論を体系化した。

 クシャーナ朝カニシカ王とほぼ同時代の2世紀中ごろの僧でバラモン出身とされる。中国では竜樹と表記する。大乗仏教の中心的思想である「中論」を著した。大乗仏教運動の中心地は西北インドであったが、ナーガールジュナはデカンの東南部であるアーンドラ地方で活動した。大乗仏教の経典は中国を通じて日本にももたらされたので、日本でもナーガールジュナは「八宗の祖」と言われている。その主著、『中論』などで、「空」の思想など、大乗仏教の理念の体系化をはたした。

その生涯

 ナーガールジュナ Nāgārjuna は、ナーガが龍の意味、アルジュナは勇者の意味であるがここではジュを音写して、漢字で龍樹(竜樹)となる。年代はおよそ150年から250年ごろと推定される(240~300年頃との説もある)。カニシカ王と同時代とすれば、1世紀中頃の人となる。生まれたのはクシャーナ朝ではなく、デカン高原一帯を支配していたサータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)で、ヴィダルバ(今のベラール)の金持のバラモンの家に生まれ、幼少のときから学問研究心がきわめて高く、バラモンの聖典の4ヴェーダをはじめ、天文や地理などの学問もあまねく研究してのこらず暗記してしまった。わかいころは無茶なこともやったらしいが、ある不始末を犯したことをきっかけに故郷のあるストゥーパ(塔寺)を訪ねて出家受戒した。それからわずか90日のあいだに小乗仏教(現在は上座部仏教と言い換えている)の経・律・論の三蔵を読破し、さらに他の経典を求めて東北インドに向かい、ヒマラヤで一人の老ビク(比丘、出家)から大乗経典を授けられた。
 ここで初めて大乗経典に接してそれを貪り読み、さらに諸国を遍歴してあらゆる仏典に通暁した。その間さまざまな外道(仏教以外の宗派)と論争し、そのすべてを論破し(この間、竜宮に至って大竜(マハーナーガ)ボサツから「深奥の秘典・無量の妙法」を受けられたという伝承もある)、いくつかの大乗仏教の注釈書や多数の論書を述作した。晩年は中インドから南インドに帰り、国王を仏教に改宗させるなど熱心に大乗仏教を説きひろめた(伝承によれば、その後二百または三百年のあいだ「仏法を任持」したのちに入滅したという)。
 ナーガルジュナの生涯は、個人の伝記が非常に珍しいインド文化史のかなで、405年頃、鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)が漢訳した『竜樹菩薩伝』や、吉迦夜と曇曜共訳の『付法蔵因縁伝』の他、チベットや中国でも知られている。しかしその内容は荒唐無稽であったり、内容が異なっていたりしているので、正確に知ることは困難である。そのあらましを現在一般に認められている内容で述べたのが上述の文である。<三枝充悳『インド仏教思想史』2013 講談社学術文庫>

参考 ナーガールジュナの復活と「空」の思想

 一時、高校用教科書の定番、山川出版の『詳説世界史』から、ナーガールジュナ(竜樹)の記述が消えたことがあった。2003年以降の「新課程版」から消えたのだが、その事情はわからない。他の教科書では依然として登場しているし、入試問題でも今も散見するので、学習上は省くわけにはいかないだろう、とおもっていたところ、2013年版では復活した(p.58)。やはり省くわけにはいかなかったのだろう。
 しかし、その説明は、「空の思想は、その後の仏教思想に大きな影響を与えた」と説明されりようになった。以前の教科書は「大乗仏教の理論を確立した」とされており、他の教科書でもほぼ同様であった。あえて新版で「空の思想」をあげたのは違和感を感じる。ナーガールジュナの「空の思想」とはどんな思想で、大乗仏教をどのように理論化したことになるのだろう。いきなり「空の思想」をあげるのは無理がある気がする。高校生の理解としては「大乗仏教の理論を大成した」で十分で、せいぜい、その主著が「中論」であり、後には「八宗の祖」といわれたことを補足する程度で良いのではないだろうか。私も「空の思想」についてはこれから勉強します。(2013.5.11記)
 なお、2024年発行の、山川出版社教科書『詳説世界史・世界史探求』でも、「すべてのものは存在せず、ただその名称だけがあると説いた竜樹(ナーガールジュナ)の「空」の思想は、その後の仏教思想に大きな影響を与えた」と説明されている<p.56>。しかし、「空」の思想については注記はない。また山川出版社刊行の『世界史用語集』(2022年版)にも、「空」の項は立てられていない。大乗仏教の理論では「空」の思想を理解することが重要なようだし、インドにおける「ゼロの概念の発見」などとの関連からも興味深いところだが、そこに入り込むとなかなかたいへんのようです。今のところ、ナーガルジュナは、大乗仏教の「空」の思想を理論化した、という程度に止めておいてもよいでしょう。