マヌ法典
インド古来の生活習慣から生まれたヒンドゥー教の規範の書。マヌとは想像上の人類の始祖とされる。カースト(ヴァルナ)に関わる詳細な規定を含む。
前2世紀から後2世紀までに成立したヒンドゥー教の法典。マヌとはインド人が考える人間の始祖のこと。ヒンドゥー教の伝播とともに東南アジアにも影響を与えた。全編は12章2685詩句からなり、単なる法律ではなく、宗教・道徳・習慣にわたる規範となる。カースト制度(ヴァルナ制)に関する婚姻の規則や、財産の相続、など事細かく定められ、ヒンドゥー教徒にとっての人生の指針とされている。<田辺繁子訳『マヌの法典』1953 岩波文庫/渡瀬信之『サンスクリット原典全訳マヌ法典』1991 中公文庫>
アンベードカルは、『マヌ法典』こそがヒンドゥーイズムの象徴、結晶であると攻撃した。たしかに『マヌ法典』にはバラモン、クシャトリヤ、バイシャ、シュードラの四ヴァルナを出生に基づく身分であり、上位三カーストが再生族としてシュードラは来世においても人間にはなれない卑賤な階級としている。さらに、シュードラは聖典であるヴェーダを読んだり聞いたりすることも許されず、バラモンが唱えるヴェーダを聞いただけでも、“耳に溶かした鉛を注ぎ込む”罰を受けなければならないと書かれている。
アンベードカルは一切の人間的向上を抑えてきたマヌ法典を焼き捨てるべきだと宣言し、参加者が実行した。このマヌ法典焚書事件に対しては各方面から批判の声が上がったが、アンベートガルはこう答えている。
参考 ヒンドゥー教の四住期制度
『マヌ法典』には、ヒンドゥー教のバラモン・クシャトリヤ・バイシャの上位三ヴァルナに属する男性の人生に四つの段階があると説いている。まず年齢はヴァルナによって異なるがヴァイシャであれば12歳から23歳までの間にバラモンのもとで入門式を挙げ、学生期にはいる。入門式は第二の誕生といわれる重要な通過儀礼で上位三ヴァルナだけに認められるのでこれを再生族という。学生期(原則として12年)にはヴェーダ学習が中心となる。学生期が終わると家に帰り、結婚して家住期となる。この間はカーストの職業に専念し、神々と祖先の霊を供養する。家長としての義務を終えて隠居したのが林住期である。この間は森の中で禁欲・清浄な生活を送る。そして人生の完成を求めるものは最後の遊行期に入る。これは行者となって一人旅立ち托鉢しつつ放浪しながら解脱を得る。これは理想的な男性の一生とされ、現在でも高級官僚や会社の重役だった人が、退職後行者となって放浪している姿は意外に多いという。<山崎元一『古代インドの文明と社会』中央公論社版世界の歴史3 p.138-145>アンベードカル、『マヌ法典』を焼く
1920年代から戦後まで、インドで不可触民の解放の先頭に立って運動したアンベードカルは、1927年の12月、ボンベイ近郊のマハードで、不可触民の共同貯水池利用が禁止されたことに対する抗議活動を行った。その最後にアンベードカルはカーストの身分差別・不可触民に対する差別の元凶は『マヌ法典』である、と攻撃し、興奮した参加者はそれを焼き捨てた。アンベードカルは、『マヌ法典』こそがヒンドゥーイズムの象徴、結晶であると攻撃した。たしかに『マヌ法典』にはバラモン、クシャトリヤ、バイシャ、シュードラの四ヴァルナを出生に基づく身分であり、上位三カーストが再生族としてシュードラは来世においても人間にはなれない卑賤な階級としている。さらに、シュードラは聖典であるヴェーダを読んだり聞いたりすることも許されず、バラモンが唱えるヴェーダを聞いただけでも、“耳に溶かした鉛を注ぎ込む”罰を受けなければならないと書かれている。
アンベードカルは一切の人間的向上を抑えてきたマヌ法典を焼き捨てるべきだと宣言し、参加者が実行した。このマヌ法典焚書事件に対しては各方面から批判の声が上がったが、アンベートガルはこう答えている。
(引用)「あれは単なる憎しみから行ったのではない。マヌ法典はカーストヒンドゥーにとっては確かに大切なものだろうが、不可触民にとっては奴隷の聖典なのだ。あの焚書事件は極めて意図的なものだった。非常に思い切ったやり方だったけれど、カーストヒンドゥーの注意を引くためには、あれ位のことやる必要があったのだ。扉をたたかなければ扉は開かれないだろう。マヌのすべてが悪いというのではないし、マヌが社会学者でもなければ、ただの馬鹿者だといっているわけではない。私は、あれが、何世紀もの間われわれを呻吟せしめた不正の象徴として燃やしたのだ」<ダナンジャイ・キール/山際素男訳『アンベードカルの生涯』2005 光文社新書 p.76>