鎬京
中国の周王朝の最初の都。渭水流域にあった。前770年、犬戎に占領され、都は洛陽に移る。
こうけい、または、こうきょう、と読む。渭水流域(関中)に築かれた周の都。現在の西安の近郊とされるが、まだ特定されていない。鎬京のあったとされるところからは西周時代の瓦が出土している。宮殿の跡そのものは漢の武帝の時代に土木工事のために破壊されたらしい。なお、周は中原地方を支配するために、副都として洛邑(後の洛陽)を建設した。鎬京を宗周、洛邑を成周という場合もある。
鎬京から洛陽へ
前770年、北方の遊牧民犬戎に鎬京を占領され、国王の幽王が殺害されて周は滅亡し、その王子が逃れて洛陽に移り周を再建した。それが東周で、鎬京に都をおいた時代が西周である。東周の時代には旧都の鎬京は荒廃し、消滅してしまった。後に鎬京の地の東方に、秦の咸陽、漢の長安、隋の大興城が建設される。現在の西安は隋の大興城以来の長安の位置にあたる。