556年、
西魏の軍事権を握った宇文氏が、西魏皇帝から禅譲を受けて成立。都や
長安を継承。その3代
武帝は西魏の時に父の宇文泰が作り上げた府兵制の軍事力を擁して、
北斉併合に乗り出し、577年それを滅ぼして華北の統一を回復した。さらに南朝の陳、北方の突厥との戦いを進めたが36歳で病死し、全土の統一はならなかった。武帝は軍事態勢を強化するため仏教寺院の所有地を取り上げ、僧を兵士として徴兵するという廃仏を行った(
三武一宗の法難の一つ)。これによって華北の仏教は一時衰え、末法思想が始まった。次の代の皇帝は統治の力が無く、最後の皇帝の皇后の父(外戚)であった
楊堅が581年に
禅譲を受け、隋の文帝となる。