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水経注/酈道元

中国、北魏時代の地理書。水系ごとの地理をまとめた漢代の『水経』に酈道元が註をつけた。


酈道元
 古代中国を代表する地理書で、魏晋南北朝時代北朝北魏の酈道元(れきどうげん)が編纂した。漢から三国の魏のころまでに編まれた『水経』という書物に註を施したもので、全40巻、30万字に及ぶ。註の文は原書の文字の20倍に及んでいる。中国各地の河川について、長江・黄河を中心に、その水路ごとの地形、産物、鉱物、風俗、歴史などを記述し、古代中国の地理研究ではもっとも重要な資料となっている。 → 魏晋南北朝の文化

酈道元

6世紀中国の北魏の人。河川についての地理書『水経注』を著した。527年に反乱軍に殺された。

 酈道元(れきどうげん)(465?~527)は現在の河北省涿郡の人で、その足跡は黄河・淮河から長江流域まで及んでいる。その記録は時に文学的で、詩のような、絵画のような描写をしている。長江上流の有名な三峡では、
 空谷の伝響/哀転久しく絶える・・・/巴東三峡、巫峡長し/猿啼三声、涙裳(もすそ)を沾(ぬら)す
遠くから猿の声が聞こえ、哀れを催す、と記している。<『入門中国の歴史 中国中学校歴史教科書』明石書店 p.278 図も>
 酈道元は北魏に使える地方官であったが、その政治は「厳酷」であったという。東荊州刺史(州の知事)になったときは、住民の恨みを買って罷免されたが、10年後に再び用いられ、河南尹から安南将軍、御史中丞となった。527年に反乱が起こったとき、殺されてしまった。<『新編東洋史事典』京大東洋史事典編纂委員会篇 p.909>
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