北朝
中国の南北朝時代、北魏以降の王朝。北方民族鮮卑系の王朝が続いたが漢文化への同化も進んだ。均田制、府兵制など北朝の制度が隋・唐に継承され、中国統一が再現される。
中国の南北朝において、中国南部を支配した南朝に対して、中国北部を支配した諸王朝を北朝という。年代は439年から589年までの中国の華北を中心とした王朝の総称。五胡十六国を統一した北魏から始まるが、その滅亡後はさらに分裂を繰り返し、東魏・西魏、北斉・北周へと展開、最終的には隋の登場によって統一される。北方の遊牧民が晋の混乱に乗じて華北に侵入して作ったという異民族王朝に起源を持つが、北魏以来、漢化政策によっていずれも漢民族に同化していったので、後の征服王朝といわれる遼・金・元・清とは区別される。
しかし、北朝においてそれまでの漢民族の王朝になかった軍事制度や土地制度が持ち込まれ、北魏の均田制・西魏の府兵制などの律令制の根幹となってゆき、中国を統一した隋・唐に継承されたことは重要である。また文化面での遊牧民の日常生活(例えば椅子の生活など)や食生活が中国に持ち込まれたのも北朝においてであった。
しかし、北朝においてそれまでの漢民族の王朝になかった軍事制度や土地制度が持ち込まれ、北魏の均田制・西魏の府兵制などの律令制の根幹となってゆき、中国を統一した隋・唐に継承されたことは重要である。また文化面での遊牧民の日常生活(例えば椅子の生活など)や食生活が中国に持ち込まれたのも北朝においてであった。