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平壌

現在の北朝鮮の首都ピョンヤン。古代では楽浪郡の郡都が置かれ、漢、後漢、魏、晋などの東アジア支配の拠点とされた。

 現在の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の首都ピョンヤン。古来、朝鮮半島北部の中心地で、大同江中流の主要都市。はじめ衛氏朝鮮の都王倹城もこの近くであったらしい(異説もある)。

楽浪郡の郡都となる

 漢の武帝前108年に衛氏朝鮮を滅ぼして楽浪郡を置いたとき、その中心地の郡都もこの地に置かれた。
 楽浪郡は漢帝国による郡県制支配を朝鮮北西部に及ぼし、その後、後漢に継承され、一時遼東の公孫氏の支配を受けた後、魏、晋の各王朝も楽浪郡を復活させ、この地を支配の拠点とした。

高句麗の都となる

 313年、楽浪郡を滅ぼした高句麗が、長寿王の時427年に都を丸都城から平壌城に移した。平壌周辺には今も高句麗時代の古墳などの遺跡が多い。668年、高句麗を滅ぼした唐は、平壌に六都護府の一つ、安東都護府を置いたが、新羅が自立したため、676年に遼東の遼陽に退いた。以後、新羅・高麗の時代は都ではなかったが、朝鮮王朝では平安道の道都が置かれた。

Episode 漢文化のショーウィンドー

(引用)朝鮮半島の西北部、大同江の中流域に位置する平壌は、中国と半島を結ぶ重要地点であり、古くは朝鮮の都として栄えたが、ここに楽浪郡が置かれてからは、中国の東方進出の拠点となった。朝鮮の故土を直接支配するだけなく、周辺の諸種族に威圧を加え、ことに南方の韓(ハン)族や濊(イエ、わい)族、さらには海を越えて日本列島の倭にもにらみをきかせていた。それと同時に、楽浪郡は中国の国際的な政治都市に変貌し、華やかな中国文化のショーウィンドーともなって人々の興味を引きつけた。<武田幸男他『朝鮮』1993 地域からの世界史1 朝日新聞社 p.35>
 楽浪郡治(郡の役所)は平壌の対岸、大同江の土城内にあったと思われ、そこから「楽浪富貴」「楽浪礼官」銘のある瓦が出土する。最盛期には6万余戸、42万人を数えたという。その中心には中国から移ってきた漢人やその子孫がいた。漢人豪族の生活の一端は、土城周辺に密集する楽浪漢墓から出土する大量の豪奢な中国風遺物が物語っている。

世界遺産 高句麗の古都

 現在もピョンヤン周辺には、楽浪漢墓や高句麗時代の古墳が多数残されており、2004年に、中国国内の高句麗時代の遺跡集安とともに世界遺産に登録された。  → ユネスコ世界遺産センター:Complex of Koguryo Tombs
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書籍案内

武田幸男他
『朝鮮』
地域からの世界史1
1993 朝日新聞社