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朝鮮民主主義人民共和国/北朝鮮

1948年9月9日に設立宣言をした、いわゆる北朝鮮の正式国号。

朝鮮民主主義人民共和国 国旗
 第二次世界大戦後、東西冷戦の米ソ対立が持ち込まれ、朝鮮が分断された結果、北緯38度線以北に成立した国家で、ソ連の支援の下、社会主義体制をとった。1948年9月9日の建国に当たり、日本軍とのゲリラ戦を指導していた金日成が主導権を握って初代の首相となり、以後独自の社会主義国家建設を掲げた個人崇拝国家に変身していく。首都はピョンヤン(平壌)。
 それより前、北緯38度線以南では1948年8月15日大韓民国が建国を宣言、アメリカの支援のもと李承晩が大統領となっていた。

ソ連指導の社会主義国家建設

 朝鮮の北半分には大戦末期に日本に宣戦布告したソ連の赤軍が入り、日本軍撤退に伴い占領した。国内で留まっていた朴憲永、ソ連で活動していた許嘉誼(ホガイ)、中国系党員、満州で抗日ゲリラ戦を戦っていた金日成らを結集して、1946年8月にソ連が朝鮮労働党(名誉議長はスターリン)を設立した。48年4月、モスクワ郊外の別荘でスターリン自ら筆を執ってソ連憲法を手本として憲法原案を作成、8月に形式的には南側も含み選挙を行い、9月2日に人民会議を開催、8日に憲法を採択、9日に朝鮮民主主義人民共和国の創建を宣言した。この国名はロシア語からの直訳であることから判るように、この国はソ連の強い指導でできたものであった。同年8月には南部に大韓民国が成立、朝鮮は分断国家として戦後を歩むこととなった。

朝鮮戦争

 1950年6月25日には、南北武力統一をめざして金日成は南朝鮮に侵攻、朝鮮戦争が始まった。金日成は、前年の国共内戦(第2次)における中国共産党の勝利と中華人民共和国の建国に自信を得て、朝鮮半島統一の好機と判断した。南朝鮮の人民蜂起も期待した。北朝鮮軍はいっきに北緯38度線を越え、南進して釜山に迫ったが、アメリカが国連軍派遣(ソ連は中国代表権問題で安保理を棄権していた)という名目で実質的に参戦し、マッカーサーが仁川に上陸して形勢を盛り返し、逆に北上して鴨緑江に迫った。それに対して、毛沢東は北朝鮮救援を決意、中国人民義勇軍を派遣した。それによって国連軍を北緯38度線mで押し返し、そこを軍事境界線として大韓民国と休戦した。以後、南北分断国家として続いている。

主体思想

 1960年代には金日成が主体(チュチェ)思想を掲げ、ソ連・中国とも距離を置く独の社会主義国家建設を進めるとともに、金日成の個人崇拝が強められた。この間、南側に対するスパイ、テロ活動を続け、70年代には日本人などの拉致事件も引き起こした。
 1980年代にはアメリカ大統領にレーガンが登場し、米ソの新冷戦が始まり、それが朝鮮半島情勢にも影響して緊張がもどってしまった。この間、1983年にはラングーン事件、87年には大韓航空機事件など、いずれも北朝鮮が関与したとされているテロ事件がおこり、緊張が高まった。ラングーン事件は1983年10月9日、ビルマのラングーン(現在のヤンゴン)を訪問中の韓国要人19名が爆弾テロで死亡した事件で、ビルマ政府は北朝鮮の工作員の犯行と断定、それを否定した北朝鮮と断交した。1987年11月29日に発生した大韓航空機バグダード発ソウル行きがインド洋上で爆破された事件は、経由地のアブダビで降りた男女二人のうちの女性が逮捕され、北朝鮮工作員であることを自供した。北朝鮮は現在も関与を否定、韓国の自作自演の陰謀と主張しているが、北のテロ工作であったことは疑いないとされる。翌年に予定されていたソウルオリンピックを妨害するためだったと考えられている。

金王朝化

 80年代末には世界での冷戦の終結、韓国の経済急成長と民主化の進展などの姿勢の変化にも対応して南北対話が始まり、1991年9月17日には南北同時に国連に加盟した。1994年7月8日金日成が死去、息子の金正日(キムジョンイル)が継承(98年より国家元首)したが、冷戦時代の終了にもかかわらず依然として反米姿勢を崩さず、「先軍政治」と称する軍事優先と個人崇拝を続けた。

南北対話の兆しと日朝平壌宣言

 2000年6月13日には、韓国大統領金大中太陽政策を掲げて北朝鮮訪問、金正日がその働きかけに応じて、始めて南北首脳会談が実現した。そのような変化の中で、2002年9月17日には日本の小泉首相が訪朝、拉致問題などの解決にあたり、平壌宣言を発表した。宣言では、国交正常化を早期に実現させるため正常化交渉を再開することを約束し、前提として日本が過去の植民地支配に対する「反省と心からのお詫びの気持ちを表明」し1945年8月15日以前(つまり植民地時代)に関する請求権を相互に放棄する、という画期的なものであった。
日本人拉致問題 日本では北朝鮮が事実上、日本人拉致を初めて認めことが驚きをもって迎えられた。10月には拉致被害者5名の帰国が実現、家族との再会を果たした。これによって北朝鮮の国家的な犯罪であったことが明らかになったので日本側は北朝鮮側の要求である5人の帰国を拒否、再調査と他の被害者の帰国を強く要求した。しかし北朝鮮は拉致問題は解決したという主張を崩さず、その後交渉は頓挫してしまった。

核開発と経済封鎖

 国際的な孤立を深めた北朝鮮は、先軍政治の思想をさらに先鋭化させ、軍事国家としてその実力を国際的に認めさせるための戦略を採った。北朝鮮は独自に核開発に乗り出したが、アメリカ及びIAEAから核開発疑惑を指摘されたため、NPTを脱退した。北朝鮮の核開発を抑止する目的で2003年から「六者協議」(北朝鮮、韓国、アメリカ、ロシア、中国、日本)が始まったが、北朝鮮側の強硬姿勢は変わらず、2006年10月には核実験を強行したため2007年を最後に開催されなくなった。さらに2009年にはテポドンなど、北米大陸に到達する大型ミサイルの実験を行い、アメリカおよび日本が硬化し緊張が高まった。国際社会は表向きには中国も含めて北朝鮮に対する経済封鎖を行い、その核開発を抑えようとした。

金正恩の登場

 東アジアだけでなく、国際的な不安材料となった北朝鮮では、2011年12月17日に金正日が死去、次男の金正恩(キムジョンウン)がその地位を継承し、金氏が三代続き、世襲王朝化がますます顕著になった。この若い指導者が国内外の期待にどのように応えるか、注目が集まったが、若干の変化を除き軍事優先の孤立主義(北朝鮮自身は孤立とは見感じていないが)を継承し、韓国との関係も好転していない。
ストックホルム合意 2014年5月29日、スウェーデンの首都ストックホルムで、日朝間の協議が行われた。これは中立国スウェーデンの仲介での問題解決の試みであり、拉致問題が国際的な協議の場で解決が図られようとした画期的なできごとであった。この合意で北朝鮮は日本人拉致被害者や特定失踪者に対する調査を約束し、日本側は制裁の一部解除を表明した。しかし、2016年2月、北朝鮮が核実験を再開し、弾道ミサイルを発射するなど、強硬姿勢に戻ったため、日本政府は制裁強化を決めた。それに対して北朝鮮は拉致被害者調査の中止を通告、再び日朝間の交渉は暗礁に乗り上げた。
 2016年には、太陽政策以来の南北融和の象徴であるケソン(開城)工業地区の南北共同事業を一方的に打ち切り、北朝鮮側の独自事業として再開した。その後も粘り強い交渉で再開への道が模索されていたが、2020年6月、北朝鮮は韓国の脱北者団体がビラを空中からばらまいているという理由で南北共同連絡事務所を爆破し、事業も停止している。

トランプ・金正恩会談

 2018年6月12日、アメリカのトランプ大統領と金正恩の会談がシンガポールで実現、史上初の米朝首脳会談となった。共同声明ではアメリカは北朝鮮の安全を保証、北朝鮮は非核化を実行すると述べた。この会見は画期的な出来事として受け止められ、東アジアの安定、しいては朝鮮半島の統一への期待を世界の人びとに抱かせた。両国はその後も実効性のある関係を模索するとして交渉を重ねた。第2回会談は2019年2月、ベトナムのハノイで実施されたが、具体的な成果はなかった。
 2019年6月30日、トランプは現役大統領として初めて板門店を訪れ、金正恩と文在寅の南北首脳と握手、金正恩とも会談を行った。この電撃的な訪問は世界を驚かせたが、その後の会談は失敗に終わり、進展していない。この評価には今後を待たなければならないようだ。
 2021年1月、アメリカがトランプ政権から民主党バイデン政権に代わり米朝関係は振り出しに戻った感がある。金正恩は、ミサイル発射実験を繰り返し、その能力を向上させていることをアピールし、さかんにアメリカを牽制している。

蛇足 日朝関係への私見

 日本人拉致問題は依然として解決しておらず、いまだに日本との国交がない。つまり、日本は韓国とは植民地支配を謝罪(少なくとも形の上では)し、日韓基本条約を締結して国交を回復した(それ自体には大きな問題が含まれている)が、同じように植民地支配をしていた朝鮮半島の北半分を実効支配している北朝鮮に対しては、謝罪及び友好関係の樹立の機会を失っている。その点では戦前の日本の植民地支配とアジアにおける戦争状態は終わっていないということを認識しなければならない。東西冷戦の終わった20世紀末はそのチャンスであったが、日本では拉致問題解決が最優先され、拉致が解決しなければ国交もない、というのが世論になってしまった。残念ながらこれは本末が転倒した議論である。拉致も核問題も、まず国交を樹立し、秘密ルートでの隠微な駆け引きではなく、堂々と交渉すべきことである。

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