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王玄策

7世紀前半、唐の太宗がインドのヴァルダナ朝に派遣した使節。

 玄奘と会見して中国に関心を持ったヴァルダナ朝ハルシャ王(中国では戒日王として知られる)は、641年に唐の太宗のもとに使節を送った。太宗はそれに応えて643年に王玄策をインドに派遣した。さらに647年、王玄策は正使としてヴァルダナ朝に派遣されたが、そのときはすでにハルシャ王は亡くなっており、王位をめぐる激しい争いが起こっていた。王玄策はチベットとネパールで兵を集め、王位簒奪者を捕らえて中国に連行している。その後、ヴァルダナ朝は急速に衰えた。<新版世界各国史『南アジア史』p.129>
王玄策は吐蕃の兵を動員し、ハルシャ王亡き後の内乱を平定したので「唐の威信は高まり、インドの諸侯が使を唐に送って朝貢した。アジアの大国であるインドが中国に対して下手に出て朝貢関係を結んだのは、歴史上、この時期のみの現象であり、大唐帝国は実質的にアジアにおける最大最強の世界帝国となった。」<貝塚茂樹『中国史』中 p.81 岩波新書>
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