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ヴァルダナ朝

7世紀にハルシャ=ヴァルダナ王が北インドを統一して建てた王朝。仏教を保護し、唐の玄奘がナーランダ僧院で学んだ。王の死後、急速に衰え一代で消滅、ラージプート時代という分裂期とナル。

ヴァルダナ朝地図
ヴァルダナ朝の統治範囲
 グプタ朝が衰退した後、インドは分裂状態に戻ったが、その中で最も有力で、606年にインドの統一を一時的に回復したのがマガダ国のヴァルダナ朝である。ハルシャ=ヴァルダナ王は、ガンジス川中流の現在のカナウジに都を置き、北インドの統一を回復した。

ハルシャ王の統治

 ハルシャ=ヴァルダナ王の帝国統治は、グプタ朝と同じく、封建的なもので、諸侯は貢納と一定数の兵馬を提供する代わりに、自領の支配を認められた。ただ、ハルシャは、しばしば自分で各地方を巡回して、帝国の統一の維持に努めた。首都カナウジは軍事上の拠点として重要性をまし、かつてのグプタ朝の都パータリプトラは昔日の繁栄を失った。

唐の玄奘の来訪

 7世紀のハルシャ王の時一代のみが繁栄し、その間、仏教とヒンドゥー教がともに保護された。唐の僧玄奘がインドに来てナーランダー僧院で学んだのもこの時代であった。  ハルシャ王の時代の繁栄は、その為政者としてのすぐれた資質に負うところが大きく、彼の死とともに帝国は急速に瓦解した。インドはラージプート時代といわれる分裂期にはいる。この分裂期に、711年のウマイヤ朝のインダス川流域侵攻を皮切りにイスラーム教の浸透が始まる。

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