趙匡胤/太祖
後周の将軍だったが推薦されて帝位につき、960年、宋を建国。太祖。節度使勢力を抑えて文治主義を取り、科挙を強化して官僚制を整備し、皇帝専制政治体制を作り上げた。
現代のトランプに見る趙匡胤
Episode 無理やり皇帝にさせられる(?)
趙匡胤は後周の近衛軍(皇帝の親衛隊)の将軍で人望が高かった。趙匡胤が出陣の祝い酒に酔って首都開封の北の陳橋駅で寝込んでいると、夜明けごろ、弟の趙匡義をはじめ将士の群が突然に手に抜身の大刀をたずさえ、寝所に押しこんできて、無理やりに天子の黄色の上衣をきせられて皇帝になった。趙匡胤は一度は拒絶したが、「兵士に後周の朝廷や都で略奪にするものは厳罰に処する」ことを認めさせて帝位に上った。という話になっているが、これは弟らが趙匡胤の野望をよんでしくんだ芝居だったのだろう。<貝塚茂樹『中国の歴史』中 岩波新書 1969 p.128>Episode 「杯酒を以て兵権を釈(と)く」
趙匡胤(宋の太祖)は、権力を握ると、巧みな手腕をふるって有力武将の兵権を奪って皇帝に集中させ、皇帝専制体制、中央集権体制を作り上げていった。そのエピソードのひとつに「杯酒を以て兵権を釈(と)く」というのがある。それは酒を酌み交わしながら兵権を取り上げた、という意味である。961年のある日、宋の太祖は石守信らの大将を宴会に招き、酒を酌み交わしながらしみじみと語り出した。「私が皇帝になれたのも、みんなあんた方のおかげだ。しかし、皇帝になってみると、かえって一晩中安眠できなくなってしまった」。大将たちがそのわけを聞くと、太祖は「この位は誰かが必ず取って代わりたいとおもっているからだ」と答えた。大将たちは慌てて「そんなことはありません」と打ち消すと、太祖は「確かにそうだろう。しかし君たちにその気が無くとも、君たちの部下で富貴や地位を望むものがいて、君たちに黄袍(皇帝の着る黄色の上衣)を着せたとしたどうするかね」と一同を見回した。誰もが涙を流して「私たちはおろかでした。そんなことにならないためにはどうしたら良いでしょう」とすがりつくように訪ねた。「あなた方は兵権を放棄して、田舎に帰り、よい田畑や屋敷を買って楽しい一生を送って子孫にも財産を残すがよい」と真顔でいう太祖の言葉を聞いた大将たちは、次の日になるとみな兵権を放棄することを申し出た。太祖はそれを許し、みな閑職に就けて私邸に引きこもった。
こうして太祖は難なく大将たちから武力を奪い、兵力を皇帝直属軍(禁軍)が独占し、将軍たちが兵力を貯えることを防いだのだった。