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神宗

11世紀中ごろ、中国・宋(北宋)第6代皇帝。王安石を登用し改革にあたらせる。

 (北宋)の第6代皇帝として1067年、19歳で即位した神宗は、政治を一新しようと積極的な意欲にあふれていた。しかし当時の北宋の財政困窮は深刻になっていた。そこで神宗が目をつけたのが王安石であり、すっかりその才能と抱負にほれこんで、宰相に登用した。こうして1070年王安石の改革(新法)が始まったが、王安石は神宗の生母の高太后のために一時斥けられ、また神宗の死(1085年)後は新たに宰相となった司馬光が王安石の新法をことごとく廃止し、その後も新法党旧法党の対立が続き、北宋は衰退に向かっていく。

北宋の財政困窮

(引用)(神宗に先立つ)仁宗・英宗の治世は、西夏との戦闘を除くと、一般には平穏な時代であったが、遼・西夏両国に対する防備のための兵力は建国当初の約六倍の百十六万人に達したのに、兵士は実戦の経験に乏しく、訓練も不十分で、戦力は余り発揮できなかった。文官を武官より優遇する国策を採った宋王朝では、文官の人数はとめどもなく増加し、建国時の一倍半、約一万五千余名に上ったので、文武官俸給の増加は人民とくに農民の生活を圧迫した。<貝塚茂樹『中国の歴史』中 岩波新書 p.148>
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