1127年、
靖康の変を逃れた
徽宗の子で、
欽宗の弟であった高宗は、金軍の追跡を逃れながら、
1138年に
臨安(杭州)に入り、宋を再建した。これが
南宋である。
南宋では金に対する和平派の
秦檜と主戦論の
岳飛が対立したが、高宗は和平論をとり、
1142年、
紹興の和といわれる和平を成立させ、
淮河を境に境界を定め、多額の貢納と、金の皇帝に臣礼をとることを約束した。金に捕らえられていた兄
欽宗はまだ生きていたので、解放されることになったが、前皇帝が帰国すると現皇帝である高宗にとっては不都合なので、その帰国は認めなかった。金の都から生還したのは母の皇后だけであった。