現在の
ベトナムの中部に栄えた
チャム人の国である
チャンパー(中国で占城と表記した)原産の稲の品種。宋の10世紀末に、干ばつがあった際、チャンパーから導入された。早稲種であったので、この導入により、従来の晩稲にあわせて、
江南地方で二期作が可能になった。この結果、長江下流の江南地方は豊かな生産力をもつにいたり、南宋の中期から
南宋時代にかけて、「
蘇湖(江浙)熟すれば天下足る」と言われるようになった。 →
江南の開発
占城稲は鎌倉末には日本にも伝えられ、大唐米(または赤米)といわれて広く普及し、それによって日本でも早稲・中稲・晩稲の品種が生まれ、日本の農業生産力が一段と高まった。