江南の開発
後漢から三国時代に始まり、南北朝・隋唐宋を経て継続され、特に南宋時代に江南の開発が進んだ。
大まかに言って中国の江南とは、長江流域をさし、広くは華南一帯をさすが、狭い意味では現在の江蘇省、浙江省の長江下流の三角州地帯を言う。この地域に漢民族が移住してきたのは、後漢から三国時代にかけてのことで、建業(後の建康、現在の南京)を都とした呉の時代に開発が始まり、特に5世紀の南北朝時代、南朝のもとで開発が進んだ。隋代には大運河が造られ、江南は華北の政治的中心地域の穀物需要にとって重要な地域となった。
南宋での江南開発
1127年、宋が開封を放棄して南渡し、江南に南宋が成立すると、移り住んだ漢人はさかんに湿地帯を堤防を造って干拓した囲田-その種類に圩田(うでん)、湖田などがあった-を造り、江南の開発が進んだ。さらにベトナムから旱(ひでり)に強い占城稲(チャンパ米)が伝わって生産力が高まり、「蘇湖(江浙)熟すれば天下足る」(「蘇湖」とは中心都市蘇州と湖州のこと。省名の江蘇と浙江の一字をとって「江浙」とも言う)と言われるようになった。 → 蘇湖(江浙) →湖広