大義名分論
儒教の中の宋学(朱子学)の理念。
朱子学(宋学)が重んじた理念の一つ。宋(北宋)の政治家であり歴史家であった司馬光の歴史書『資治通鑑』で展開された、長幼の別、君臣の別、華夷の別(中華民族と周辺民族を区別し、漢民族を中国の正統とする考え)を明らかにした歴史論をもとに、南宋の朱熹が『資治通鑑綱目』において論じた歴史論。その核心にある理念が孝と忠である。本来の孔子の説く孝は家族の親和、忠は君臣の信頼関係を重視するものであったが、朱子学においては為政者にとって秩序維持に必要な理念として説かれるようになり、封建道徳に変質した。朝鮮、特に日本に伝えられた朱子学はその面だけが強調され、江戸幕府の統治理念とされた。しかし、大義名分論は幕末になると、反幕府勢力により、尊王攘夷論のバックボーンとされ、倒幕の理念となるという二面性があった。