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上都

大都(北京)と並ぶ元のもう一つの都(副都)。内モンゴルの現在のドロンノール遺跡。

 モンゴル帝国(大モンゴル国)のフビライが1260年に第5代大ハーンに即位した時の拠点は現在の中華人民共和国の内モンゴル自治区のドロンノールにあった開平府であった。カラコルムには弟のアリクブケが同じく第5代ハンとして即位した。両者は激しく争った結果、1264年にアリクブケを倒して統一支配者となったフビライは、同じ1264年に正式にカラコルムから遷都し、開平府を上都とし、金の都であった中都(かての燕京、現在の北京に当たる)とともに首都とした。
 つまり、二つの都を置く両京制としたのであり、夏期は上都、冬期は中都で執務した。両京制は中国史ではめずらしくなく、唐の長安と洛陽、明の北京と南京などがあげられる。モンゴル帝国の場合は、遊牧地域を抑える上都と、農耕地域を抑える中都という意味があった。この体制は1267年に中都を改めて大都が建設されてからも続いた。上都は元の滅亡の時、破壊された。
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