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ミスル

正統カリフ時代、イスラーム教団の征服地に置かれた軍営都市。イラクのクーファ・バスラ、エジプトのフスタートなどがその例。アラブ人ムスリム軍人が家族ごと入植した。

 正統カリフ時代のアラブ人イスラーム教徒が征服地に建設した軍営都市。アラブ人は征服した地域の拠点に宿営地を設け、兵士の家族を移住させて入植し、異教徒の支配にあたるとともに、経済文化の中心地としていった。特に第2代カリフのウマルが建設したイラク南部のバスラ、イラク中部のクーファ、エジプトのフスタートが有名で、ほかにチュニジアのカイラワーンなどが知られており、アラブの都市にはこのミスルに起源を持つものも多い。

ウマルのミスル設置の意味

 第2代カリフのウマルは、シリア・イラン・エジプトを次々に征服していった。その征服活動は、しかし宗教的情熱で行われたのではなかった。また将軍たちに征服地を封土として与えるためでもなかった。それは当時の二大強国、ビザンツ帝国ササン朝ペルシアの圧力のなかで、アラブ人各部族を統合して自立していくための、防衛的側面が強かった。
 ウマルは征服地の既存の都市に、ムスリムが移り住むのを許さなかった。古くからの都市ではダマスクスがムスリムの統治の中心地となって、ムスリムの軍人が住んだが、それ以外には入植用に新たな「軍営都市」(ミスル)を戦略上の要地に建設して、軍人に家族ごと移住させた。イラクのクーファとバスラ、イランのコム、ナイル河畔のフスタートなどがその例である。
(引用)各ミスルにはモスクが建てられ、軍人たちは金曜礼拝に出席した。こうした軍営都市では、軍人たちはイスラームにのっとった生活を送るよう教えられた。ウマルは、家族の大切さを重視し、飲酒には厳しく、ムハンマドのように普段から質素に暮らす禁欲の美徳を奨励した。ただし、軍営都市はアラブ人だけが住む飛び地で、クルアーンの世界観に適合できる伝統が外国の地で存続する場所でもあった。この時点では、イスラームは基本的にアラブ人の宗教だった。改宗したズィンミーも、必ずどれかひとつの部族の「従属者」となってアラブ人の制度の一部にならなくてはならなかった。<カレン・アームストロング/小林朋則『イスラームの歴史』2017 中公新書 p.41-42>