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コンヤ

12~13世紀、ルーム=セルジューク朝の都。最初の都ニケーアが第1回十字軍に占領されたため、この地に遷した。

コンヤ Google Map

 コンヤは小アジア(アナトリア)の南部、高原地帯にある歴史的都市。フリギア地方の伝承では、ノアの洪水の後、世界で最初に造られた都市といわれている。ローマ時代にはイコニウムといわれて栄えていたが、12世紀にルーム=セルジューク朝が都ニケーア第1回十字軍に占領されたために、都をこの地に遷し、その後もモスクやスーフィズムの指導者の霊廟などが建設された。
 14世紀にはイブン=バットゥータがコンヤを訪れ、「立派な町で、水に恵まれ、川流や園圃もおおい。むかし、アレクサンドロス大王がこの町を建設したといわれている」と述べている。オスマン帝国時代にもトルコ=イスラーム文化の栄えた都市の一つとなった。現在はトルコ共和国の穀倉地帯となっていると共に、その歴史的遺産から歴史的文化都市として存続している。

参考 聖者メブラーナの廟所

 13世紀にイスラーム神秘主義(スーフィズム)のメヴレヴィー教団を創設した聖者メヴラーナ=ジェラレッディン=ルーミーはコンヤで活動し、その霊廟もコンヤにあり、現在も多くの信者が巡礼に訪れている。
(引用)メヴラーナの霊廟にはいまもトルコ各地から信者が参詣にやって来る。由緒あるモスクやメドレッセ(イスラム神学校=マドラサ)もあるこの町の人々は、とりわけ信仰心が篤いといわれる。なるほど、街を行く女たちは、真夏にもかかわらず、顔と手のほかは、しっかりと衣服の下に隠している人がめだつ。宗教書や数珠を売る店も多い。
 メヴラーナ霊廟は街の中心にあった。聖者の柩は、金の装飾を施した緑色の布に覆われて安置されていた。霊廟の周辺は遠方から参詣に来たらしいトルコ人信者で溢れている。日本でいえば、長野の善光寺や川崎のお大師さまといった雰囲気である。<渋沢幸子『イスタンブール、時はゆるやかに』1994 新潮文庫 p.200>
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