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メヴレヴィー教団

13世紀に小アジアに興った神秘主義教団。旋回する舞踏を行いながらアッラーとの一体化を求める。

 イスラーム教が西アジア及びその周辺に定着、拡張していく上で大きな意味のあった神秘主義(スーフィズム)をかかげた神秘主義教団(ターリカ)の一つ。13世紀に小アジア(アナトリア)のコンヤスーフィーの聖者と仰がれたルーミーを中心に組織された。今もコンヤのルーミーの墓廟は、その聖地として巡礼者が多く、また旋回する舞踏によって神との一体感を得るという独特の信仰が守られている。メヴレヴィー(メウレヴィー、メフレヴィーとも表記する)とは、「我らが導師」を意味するマウラーナーというルーミーに対する尊称に由来する。メヴレヴィー教団はオスマン帝国時代にはムラト2世のころから歴代のスルタンの保護を受け、有力な教団として発展した。

聖者ルーミー

 その創始者ジェラレッディン=ルーミー(1207~1273)は、イスラーム神学者の子として現在のアフガニスタンのバルフにまれ、放浪の末、1229年ごろアナトリアのコンヤに定住した。コンヤはルーム=セルジューク朝の都だったので、彼はルーミーと号した。シリアに留学してイスラーム神学を研究していたが、1244年に放浪の托鉢僧シャムス=アッディーン=タブリージーと合い、その生き方に神の愛の完全な像を見いだして、それまでの生活を一変させ、神秘主義のスーフィーとして修行に転じた。神の愛を歌い上げるたくさんの詩を作り、また踊りながら陶酔の境地となって神との一体感を得ようとした。その詩はマスナビーと呼ばれて2万6千句に及び、ペルシア語で書かれ、散文の『ルーミー語録』とともに神秘主義の文化の最高水準とされている。その墓地は現在もコンヤに残されており、信仰を集めている。

Episode 踊る宗教

 メヴレヴィー教団の教義はキリスト教やプラトンの思想も包摂する寛容さにあり、社会の上層部から民衆にまで受けいれられる要素があったが、最大の特色は「音楽に合わせて集団で旋回する」(サマーともいわれる)という舞踏を行うことである。ヨーロッパでは彼らは「踊るデルウィーシュ」Dancing Derwishes と呼ばれた。1925年には他の神秘主義教団と共にその修道場は閉鎖されたが、社会の各層にはなお根強い支持者がいる。<平凡社『イスラム事典』1982 p.378>
 現在、トルコ有数の観光地となっているコンヤでは、メヴレディー教団で行われていた修道者の舞踏が観光用のショーとして行われ、今も白い肖像をまとった踊り手が集団でクルクル旋回する舞踏を見せてくれているという。

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