印刷 | 通常画面に戻る |

岩のドーム

イェルサレムの神殿の丘にあるイスラーム教の聖殿。イスラーム教の聖地の一つとされている。正統カリフ第二代のウマルがムハンマドの昇天伝説の地を聖域と定め、ウマイヤ朝のカリフ・アブド=アルマリクが692年に聖堂を建設した。

岩のドーム
イェルサレムの岩のドーム

Source: Wikimedia Commons (Public Domain)

 第二代カリフのウマルはイスラーム軍を率い、638年イェルサレムを包囲した。イェルサレムが降伏し、入城したウマルは、みずからこの地を訪れ、土中から聖なる岩を見つけ出して礼拝した。ムスリム(イスラーム教徒)はこの地こそムハンマドが天馬に乗って天に昇った場所だと信じた。ウマルは荒廃していたその地を整備して礼拝堂を建設するように命じ、やがて3000人もの信徒を収容できるモスクが建設され、ムスリムは「ウマルのモスク」と呼んだ。モスクの一角の巨岩は「天地創造の巨岩」と信じられ、イスラーム教のメッカ、メディナに次ぐ第三の聖地となった。この地はユダヤ教の聖地ヤハウェ神殿跡でもあり、現在はイェルサレム旧市街の「神殿の丘」と言われている。

Episode ムハンマドの「夜の旅」

 「コーラン」第17章1節に見られるムスリムの伝承によれば、ムハンマドはある夜、メッカからイェルサレムまで、天馬ブラークに乗って旅をし、そこから天にのぼって神の声を聞き、その玉座の前にひれ伏したという。天に昇るときに足をかけた石が、ドームに覆われている聖石であり、その表面にはムハンマドの足跡が残っていると信じられている。この伝承によってイェルサレムはイスラーム教徒にとって、メッカ、メディナにつぐ第三の聖地と定められた。アブド=アルマリクによる岩のドームの建設は、カリフの権威を高めるだけでなく、信仰の新しい中心を生み出す役割も果たした。<佐藤次高『イスラーム世界の興隆』世界の歴史8 中央公論社 p.114>
(引用)エルサレムは、ユダヤ教徒やキリスト教徒の聖地であるとともに、イスラムの教えの中でも特別な意味を持った都市である。メディナに多いユダヤ教徒をも自ら教えに取り込もうと考えていたムハンマドは、当初、エルサレムの方角に向けて礼拝を行うように指示していた。また、ムハンマドは、ある夜、メッカからエルサレムに飛び、そこから天に昇り、諸預言者や天使に会ったとされる。アクサー神域とは、アブラハムがその上で犠牲を捧げたと信じられているモリア山頂の岩を中心とする聖域のことで、ムハンマドが天に昇ったのもこの岩の上からだったという。もちろん、ムハンマドの時代には、この地はまだイスラムの勢力下には入っていなかった。従って、思想の上ではともかく、事実として、アクサー神域が、イスラムの礼拝堂だったわけではないことに注目しておかなければならない。<羽田正『モスクが語るイスラム史―建築と政治権力』2016 ちくま学芸文庫 p.46 初刊は1998中公新書>

アブド=アルマリクによる「岩のドーム」建造

 その後、ウマイヤ朝カリフのアブド=アルマリクは、692年にウマルのモスクの修復を命じ、そのとき、この岩を覆う聖堂を建設した。この聖堂は黄金にかがやくドームの屋根が、ひときわ目立っており、8角形のプランを持ち一辺の長さは20m、ドームの高さは35mである。その後何度か改修されているが現存しており、イスラーム世界最古の建造物として貴重である。

「岩のドーム」建設の意味

 最初のモスクはムハンマドの住居があてらていたのであり、その後、教団の拡大とともに各地に作られた初期のモスクも簡単な礼拝堂でしかなかった。正統カリフ時代のカリフたちも、建物として壮麗なモスクには無関心だったが、大きく変化したのがイスラム勃興から100年経ったウマイヤ朝第6代カリフ、ワリード1世(在位705~715)の時代だった。<羽田『同上書』 p.59>
(引用)実は、変化は、彼の父、アブド=アルマリクの時代からすでに始まっていた。このカリフの時代に、イスラム世界で初めての記念碑的な建造物であるエルサレムの「岩のドーム」が建設されていたからである。内部が美しいモザイクで飾られたこの建物は、当時のウマイヤ家に敵対してカリフを名乗る人物が押さえていたメッカのカーバ神殿に対抗して、シリアの人々の新たな巡礼地とすることを意図して建てられたものだった。古代からの由緒あるエルサレムの神殿域で高く金色に輝くドームは、ウマイヤ朝カリフの力、権威、統治の正統性を人々に目に見える形ではっきりと示した一大モニュメントだった。<羽田『上掲書』p.73-74>