レヒフェルトの戦い
955年、東フランクのオットー1世が、東方から侵入したマジャール人を破った戦い。
955年、東フランク王国のオットー1世が、東方から侵入したマジャール人を撃退した戦い。レヒフェルトは南ドイツのアウクスブルクの近郊。勝利したオットー1世のローマ皇帝戴冠、敗れたマジャール人はパンノニアに後退して定住し、ハンガリー王国を成立させるという契機となった。
マジャール人の侵攻
マジャール人はウラル語系の民族で、遊牧と農耕を行いながら西方への移動を続け、9世紀末にドナウ川中流域の大平原地帯であるパンノニアに入った。10世紀の初めにはモラヴィア王国を滅ぼし、さらに西進して東フランクの領内に遠征し、略奪を繰り返すようになった。マジャール人は930~950年代にかけて、現在のフランス、イベリア半島、イタリアにまでしばしば遠征すると、キリスト教徒はマジャール人をかつてのフン人の再来と思い込んで非常に恐れた。オットー1世の勝利
しかし、東フランクは、マジャール人の騎馬戦法に次第になれると共に態勢を立て直し、オットー1世は955年にレヒフェルトでマジャール軍を撃退することに成功した。勝利したオットー1世は、キリスト教世界を守ったことになり、962年のローマ皇帝への戴冠(オットーの戴冠)の理由となった。ハンガリー王国の成立
また敗れたマジャール人は、これ以上の西進ができず、ドナウ川中流域のハンガリー平原(パンノニア)に定住することとなる。彼らは1000年にキリスト教に改宗して、ハンガリー王国を建国する。