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フン人

4~5世紀にヨーロッパに侵入したアジア系遊牧民。北匈奴の子孫とされるが不明な点も多い。5世紀にアッティラに率いられ、ヨーロッパに侵攻し、大帝国を立てたが、帝国はその死後崩壊した。

 一般的には「フン族」と言われることが多い。中国の歴史書に現れる匈奴が前1世紀に漢に討伐され、南北に分裂し、その北匈奴が西方に移動したのがフン人であると言われるが、不明なことも多い。実態はトルコ系・モンゴル系を含む遊牧・騎馬民族と考えられる。
 2世紀頃、バイカル湖方面から西方に移動を開始し、4世紀には南ロシアのステップ地帯に入り、370年ごろ、ゲルマンの一部族東ゴート人の居住地に侵攻した。それを契機として東ゴート人はそれを逃れるためローマ領内に移動、ゲルマン人の大移動の引き金となった。

アッティラの大帝国建設

 フン人はその後、パンノニア(現在のハンガリー)を中心に現在のドイツ、ポーランドを含む地位に帝国を建設、5世紀前半のアッティラ大王の時全盛期となる。アッティラは東ローマ、西ローマと戦って領土を拡大したが、451年カタラウヌムの戦いで西ローマ・西ゴートの連合軍に敗れ、翌年イタリアに侵入したが疫病のため撤退、その死後は急速に衰え、滅亡した。
 なお、現在のハンガリー人を、フン人の後裔とする説明があるが、それは誤り。ハンガリー人はフン人とは異なるマジャール人の後裔である。マジャール人はかつてはアジア系遊牧民とされることもあったが、現在はウラル山脈西側の草原地帯にいたウラル語系の民族とされている。
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