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エドワード3世

14世紀、イギリスのプランタジネット朝の国王。フランスの王継承権を主張し、百年戦争を始める。クレシーの戦いなどで勝利したが、次第に劣勢となった。

 14世紀イギリス(イングランド)のプランタジネット朝国王(在位1327~77年)。父はエドワード2世で母がフランスのフィリップ4世の娘(イザベル・ド・フランス)であったので、カペー朝断絶に際して、フランス王位の継承権を主張した。1328年ヴァロワ朝初代の新フランス国王フィリップ6世が即位すると、いったんそれを認めたものの、1337年10月7日、それをとり消し、その約二ヶ月後にフランス国王に挑戦状を発した。1339年、フランスに侵入し、フィリップ6世軍と戦闘を開始、百年戦争が勃発する。

百年戦争

 開戦からしばらくは皇太子のエドワード黒太子の活躍もあって1346年のクレシーの戦いなど有利な戦いを続けたが、長期化して15年ほど経つと老いたエドワード3世は美しい侍女のアリス=ペラーズを側から離さなくなり、彼女と結託した三男のランカスター公が宮廷の実権を握るようになった。エドワード黒太子も病死して次第に戦況は悪化した。エドワード3世は1377年に亡くなり孫のリチャード2世が即位したがまもなくワット=タイラーの乱が起こり、プランタジネット朝は大きな危機に陥る。

フランス王を名乗る

クレシーの戦い
百年戦争 クレシーの戦い(1346年)の場面。右がエドワード3世軍。百合と三頭の獅子を組み合わせた国王旗、左に百合の紋章のみのフランス国王旗が見える。
 フランス王位はサリカ法(ゲルマン民族の伝統法)によって女系への王位継承を認められなかったが、イギリス王エドワード三世はそれを無視し、母からフランス王位継承権を引き継いでいると主張して、1337年にフランスに宣戦布告した。この開戦に関連して、エドワード3世は1340年ごろ、それまでのイングランド王の紋章「ライオン三頭」に、フランス王の紋章「百合の花」を加えた。
(引用)この紋章改訂で注目すべきところは、イングランド王の紋章や国王旗であるにもかかわらず、その優位の位置(左上)にまずフランス王の紋章を置き、劣位の位置にイングランドの紋章を置くという組合せになっていることである。その意味は「われはまずフランス王であり、次いでイングランド王である」ということである。紋章や旗だけでなく、国王の正式称号もまずフランス王であり、次いでイングランド王の順になっていた。さすがにヘンリー4世の1395年からは、まずイングランド王の称号をとなえるようになった。歴代国王はフランス王の紋章を、・・・ジョージ3世の1801年まで、実に461年間手放さなかった。<森護『ユニオン・ジャック物語』1992 中央公論新社 p.100>
 → グレート=ブリテンおよびアイルランド連合王国

Episode ガーター勲章

 エドワード3世は百年戦争でのクレシーの戦いの勝利の後、1348年8月に「ガーター騎士団」を創設した。ガーター騎士団は国王・皇太子を含む26人の騎士によって構成され、セント・ジョージを守護神としウィンザー城内のセント・ジョージ・チャペルに騎士専用の祈祷席を設けた。ガーター騎士団の団員に、団員証としての意味で与えられたのが「ガーター勲章」であったが、後にイングランドの最高勲章とされるようになる。
 ガーターとは靴下留めのことで、舞踏会である伯爵夫人が靴下留を落として笑われたとき、エドワード3世が拾い上げて自分の左足につけてかばったことに由来するというが、信じるに足りない。勲章は左足に着けるガーター、首にかける頸章、左胸に着ける星章、左肩から右腰にかける綬(青いのでブルーリボンという)とその留金具の4点がセットになっている。<森護『同上書』 p.101>
 ガーター勲章は26人(時期によって数は変化する)の定員のあるガーター騎士団に与えられる勲章であるが、外国君主には別枠で与えられている。原則はイギリスの友好国でキリスト教国の君主であったが、日英同盟締結後、明治天皇が1906年に授与され、大正天皇、昭和天皇も続いた。昭和天皇は第二次世界大戦が始まると昭和天皇の受賞は取り消されたが、1971年の訪英に際して復活した。
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