ヴァロワ朝
1328年~1589年の約260年間のフランスの王朝。百年戦争後の王権強化に努め、16世紀前半にはハプスブルク帝国と争った。
フランス王国のカペー朝に続く、中世から近世にかけての王朝。百年戦争を経て、シャルル7世が次第に王権を強化し、16世紀のフランソワ1世の時代には神聖ローマ帝国とヨーロッパの覇権を争う。その後宗教戦争であるユグノー戦争が激化し、その中でブルボン朝に代わる。
ヴァロワ朝の成立と百年戦争
1328年、カペー朝のシャルル4世が死去したが、息子がなく、兄弟も死んでいたので王位継承の問題が起こった。イギリス王エドワード3世(母がフィリップ4世の娘)と、シャルル4世のいとこにあたるフィリップ=デヴルー、フィリップ=ド=ヴァロワの三人が候補者となり王位を要求した。諮問を受けた三部会は『フランス王国に生まれた』という理由でフィリップ=ド=ヴァロワを選び、フィリップ6世として即位した。これがヴァロワ朝の始まりである。これに対してエドワード3世はなおも王位継承権を主張して百年戦争が勃発する。Episode 拾われっ子の国王
ヴァロワ朝初代のフィリップ6世は、カペー朝の断絶の結果、三部会の推薦で国王となったので、「拾われっ子の国王」といわれた。ヴァロワ朝の王権はこのように弱かったので、百年戦争を通じて王権の強化に苦心する。主なヴァロワ朝の国王
百年戦争中は、フィリップ6世-ジャン2世-シャルル5世-シャルル6世と続き、シャルル7世の時、百年戦争が終結。王権強化が始まる。それ以後のヴァロワ朝の主要な国王を次にあげる。- シャルル8世(1483-1498):ナポリ王位継承権を主張してイタリアに侵攻し、広義のイタリア戦争を始めた。事故死したためオルレアン公ルイが王位継承。このルイ12世もイタリア遠征を続け、学芸・商工業を保護して王権の強化に努めた。その娘婿がフランソワ1世。
- フランソワ1世(1515-1547):ヴァロワ朝で最も重要な国王。イタリア戦争を継続して神聖ローマ皇帝ハプスブルク家のカール5世と死闘をくり返す。その間、オスマン帝国スレイマン1世とは友好関係を結びカピチュレーションを認められたともいわれている。また新大陸のカナダ進出も始まった。王権強化に努め、またレオナルド=ダ=ヴィンチを招いたり、古典学者を保護したりしてフランス・ルネサンスを開花させた。
- 次の、アンリ2世(1547-1559)の王妃はイタリア・フィレンツェのメディチ家出身のカトリーヌ=ド=メディシス。アンリ2世の事故死後、フランソワ2世(1559-60)、シャルル9世(1560-74)、アンリ3世(1574-1589)と続く三代は母后カトリーヌ=ド=メディシスが実権を握った。その間、カトリックとプロテスタントの宗教対立が深刻となり、1562年にユグノー戦争の混乱が始まった。1589年、ヴァロワ朝最後の王アンリ3世が暗殺され、ブルボン家のアンリ4世が即位してブルボン朝に代わる。