14世紀の末に高麗を倒して
朝鮮王朝を開いた
李成桂が定めた土地制度。前代の高麗では、
田柴科(でんさいか)制度という土地制度があり、官僚に対し、官職に応じて田地と柴地(燃料の柴を採取する土地)を、農民付きで与えるものであった。次第にこの田柴科は私有地化し、
両班の勢力基盤となっていた。高麗の保守的な親元派を倒して権力を握った李成桂は、ただちに全国の土地調査に乗りだし、今までの貴族や地方豪族の持っていた私有地を没収して国家の土地とし、科田法を定めて改めて新たな官吏に等級に応じて土地を配分した。高麗以来の旧貴族は没落し、朝鮮王朝を支える新興官僚層が両班を形成することになった。