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タタール/韃靼

明代以降のモンゴル高原東部の遊牧民に対する呼称。

 明によって中国本土を追われたモンゴル人であったが、モンゴル高原ではその後も遊牧生活を継続し、東部のモンゴル(いわゆる韃靼=タタール)と西部のモンゴル人の一部族であるオイラトが有力であった。そのうち東部のモンゴルには、15世紀の後半にダヤン=ハンが現れてモンゴル全体を再統一し、次いで16世紀中頃にはその孫のアルタン=ハンが長城を越えて明を侵犯し、明から北虜と恐れられた。 → タタール人(ロシア)
注意 「タタールとオイラトの抗争」は誤り 韃靼というのは、明側の史料で使われたもの。本来は唐末から北方民族全体を意味した「タタル」を音訳し、韃靼の漢字を当てたのであり、元を滅ぼした明が、その遺民をモンゴル(蒙古)の後継と認めないことを示すために使った。なお、「タタール」ということばは、ロシア語で遊牧民を意味し、ジュチ及びバトゥのキプチャク=ハン国のモンゴル人を指す(「タタールのくびき」)。従ってタタルとタタールは意味が違うのだが、混用されている。いずれにせよ、モンゴル高原で遊牧生活を送る人々は自らをタタールと呼んだことはなく、常にモンゴル人と自称していた。従って「タタールとオイラトの抗争」という言い方は正しくない。<宮脇淳子『最後の遊牧帝国』講談社選書メチエ 1996 p.98> 
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書籍案内

宮脇淳子
『最後の遊牧帝国』
1996 講談社選書メチエ