日本町
16~17世紀、東南アジア各地に進出した日本人が、その土地に設けた居住地。
16世紀から17世紀初め、東南アジア各地には多数の日本人が商業活動に従事し、日本町という居住地を造っていた。タイのアユタヤ朝の都アユタヤには1500人以上の日本人が住んでいて日本町が栄えていた。彼らは朱印船貿易に従事しながら海外に出て行った人々であり、アユタヤの他にフィリピンのマニラ、カンボジアのプノンペン、ピニャルー、コーチシナ(ベトナムの中・南部を指す)のフェフォ(ベトナム語読みではフェイフォー)、ビルマのアラカンなどに日本町を作り、活動していた。1639年徳川幕府が鎖国令を出したために、これらの日本人は帰国できなくなり、また貿易も行われなくなったので、衰退した。
Episode アユタヤの日本人、山田長政
アユタヤの日本人で有名な人が山田長政である。長政はアユタヤ朝のソンタム王に仕え、その信任を受けて最高の官まで上った。王が死ぬと王位継承の争いに巻き込まれ、彼を恐れた次の王によってリゴール(マレー半島)の太守に任命されて遠ざけられ、最後は毒を盛られて死んだ(1630年)。