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生糸

絹織物の原料となる蚕の繭から採る糸。シルク。絹糸。

 絹・絹織物とその原料である生糸は、古くから中国の特産品で、オアシスの道=シルクロードを通じて西洋にももたらされていた。はじめは農民が自分で着るために生産されていたものが輸出にもあてられていたの過ぎなかったが、明代の15~16世紀になると江南地方の農村では、農民たちが売る目的で生糸や絹織物を作るようになった。特に長江河口のデルタ地帯の太湖周辺の生糸は「湖糸」といわれる良質なものだったので、ヨーロッパや日本に大量に輸出され、その代価として大量のが流入した。農民が生糸を生産するには、蚕卵紙(カイコの蛾が卵を産み付ける紙、種紙)を購入し、餌のを栽培したり買わなければならなかった。そのため、資金を糸商から借りなければならず、生糸の買い取り価格も糸商によって決められていたので、農民はそのような商人からも搾取されることとなった。

日本の生糸輸入と輸出への転換

 日本では16世紀の南蛮貿易で中国産の生糸がマカオから来るポルトガル商人、後には長崎に来る中国商人によってもたらされ、白糸といわれて主要な輸入品となった。17世紀には江戸幕府は糸割符制度をとり、白糸の購入価格を定めて一括して買い取り、それを長崎や京都の特定の商人に分配して売り捌くという貿易統制を行った。京都の西陣などの絹織物産地も初めは中国産生糸を原料としていたが、鎖国政策の中でその輸入に制限が加えられたため、次第に国内の生糸生産が増え始めた。国産の生糸は白糸に対して和糸といわれ、次第に増産され、質も向上した。各地の農村でも養蚕業が盛んになり、畑は桑畑に転換していった。幕末に開国して外国との貿易が始まると、今度は一転して日本産生糸は輸出の最重要品目となり、横浜港などから大量に輸出されるようになり、明治期まで日本の輸出産業を支えることとなった。
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