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阮氏

16世紀、ベトナム中部のフエを拠点に独立政権を樹立し北部の鄭氏と18世紀まで抗争した有力一族。

 1527年にベトナムで莫氏黎朝の帝位を奪うと、黎朝の廷臣であった阮淦(グエン=キム)は直ちに抵抗を開始、ラオスに逃れていた黎朝の帝室の血をひく人物を捜し出し、1532年に黎荘宗として即位させ、黎朝を復興した(後期黎朝)。しかし、彼は莫氏の隠謀によって毒殺され、黎朝は同じく廷臣であった鄭氏の鄭検(チン=キエム)を総司令官として莫氏との戦いを指揮することとなった。阮淦の子の阮潢(グエン=ホアン)は軍功で瑞郡公に任命されたが、それに不満な鄭検との間で対立が生じた。両者はともに黎朝の復活を主張しながら、権力闘争を展開することとなった。阮潢は不穏な空気を察して、中部ベトナムのフエに移り、北部に残った鄭氏を牽制するようになる。莫氏が倒され、黎朝が復興してからも、黎朝の皇帝を差し置いて鄭氏と阮氏の南北対立が続くこととなる(鄭阮200年戦争)。阮氏(広南阮氏ともいう)は、フエを拠点とした独自政権を作り上げ、広南国(クァンナム)とも言われるようになった。
注意 なお、1771年に広南国で西山の乱(タイソンの乱)を起こしたのも阮氏の三兄弟であるが、広南阮氏とは関係が無く、西山阮氏といって区別する(阮=グエンは、ベトナムで最もありふれた姓である)。1802年に西山政権を倒して阮朝を建国した阮福暎は、広南阮氏の生き残りである。 → ベトナム(4)
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