阮福暎/嘉隆帝
ベトナムの西山党の乱で滅ぼされた広南阮氏の一族で、フランスの力を借りて西山朝を倒し、1802年にベトナムを統一、阮朝の初代嘉隆帝となった。
阮福映とも表記する。ベトナム語の表記はグェン=フック=アイン。ベトナムの阮朝の創始者で嘉隆帝(ジャロン)の称号がある。彼は西山の乱で滅ぼされた南部ベトナムの阮氏政権(広南国)一族の生き残りで、乱を逃れてタイに逃亡し、ラーマ1世(チャクリ)の保護を受けた。
ベトナムを統一
やがてフランス人宣教師ピニョーとタイの軍事的な支援を受けてベトナムに戻り、1802年に西山朝軍を破ってハノイに入城し、西山阮氏の一族を処刑した。同年、フエで即位して阮朝を創始し、年号を嘉隆と定めた。国号を越南に
ベトナムを統一した阮福暎は、清国に使いを送って戦勝を報告し、冊封を請うた。1804年、清国の嘉慶帝は阮福暎に王の印璽を授け、「越南」(ベトナム)の国名を与えた。阮福暎は1806年に、皇帝の称号を名乗り、嘉隆帝(ジャロン帝)と言われるようになった。こうして阮福暎はベトナム史上はじめて全土統一の国家を完成した。 → ベトナム(4)<小倉貞男『物語ヴェトナムの歴史』1997 中公新書 p.205>