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スール朝

16世紀、デリーのムガル朝を追い出し、一時北インドを支配したアフガン系イスラーム教国。短命に終わりムガル帝国が復活した。

 16世紀に北インドのベンガル・ビハール地方でアフガン系スール人の勢力が成長、その指導者シェール=ハーンは北インドに勢力を伸ばしてきたムガル帝国とたびたび争い、1539,40年にはフマーユーンを破り、デリーを奪取し、自らシェール=シャーと名乗ってスルタンとなり、スール朝(1539~55年)を開いた。
 スール朝は、デリー=スルタン朝最後のロディー朝と同じくアフガン系のイスラーム教国が北インドを支配した例であり、その支配は短期間で終わったが、その間に貨幣統一、土地調査、駅伝制の整備など、ムガル帝国のアクバルに先行する統一事業を行った。1545年、シェール=シャーが遠征中に事故死した後、次のイスラーム=シャーの代には混乱がつづき、1555年にサファヴィー朝の支援を受けたムガル帝国のフマーユーンがデリーを奪還したため、スール朝は滅亡した。

スール朝創始者 シェール=シャー

 スール朝は成立したばかりのムガル朝の北インド支配を、一時中断させたに過ぎず、短期間に滅んだが、シェール=シャーの統治には見るべきものがあった。最も重要なのは彼が創出した租税徴収システムはムガル帝国のアクバル帝に継承され、それはイギリス統治時代まで影響を及ぼしていることである。他に貨幣制度や駅伝制度などもムガル帝国に継承された。1545年に事故死しなければ、アクバルに匹敵する有能な統治者となったかも知れないという見方もある。「ちなみに、ビハール州のササラームの地に残る彼の壮大な墓は大きな池のまん中に浮かぶ風格ある建造物である。」<荒松雄『変貌のインド亜大陸』世界の歴史24 1978 講談社 p.123>
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