ジョット(ジオット)
13世紀末~14世紀初頭、フィレンツェ出身のルネサンス絵画の先駆者。宗教画に写実的、人間的な要素を取り入れた。建築家としても活躍。
ジョット『ユダの接吻』(部分)
ジョットは聖職者でない俗人として絵画を制作し、その意味でルネサンス絵画の先駆者とされるが、その主たる題材は宗教絵画の範囲を超えていない。また技術的面での本格的な革新は次のマサッチョの遠近法の導入から始まる。しかし、単なる教会の宗教絵画のなかの人物表現には、いきいきとした写実的な人間像が見られ、人間表現の解放としてのルネサンスの先駆と言える。
市民ジョット
・・・農民の子に生まれ羊を飼いながら自然を師として岩に絵をかいていた少年ジオットオは、チマブエにみいだされ、その農奴的農村より解放されてフィレンツェに自由都市の自由市民としてうけいれられ、ついにフィレンツェいなイタリアいな全欧のルネサンスの芸術の先駆者となり、あのフィレンツェのドゥオモの南側に市の内外の民衆を自由の集会に呼ぶために立った絵のように美しい鐘塔さえも設計した・・・<羽仁五郎『ミケルアンジェロ』1936 岩波新書 p.93>
職人から芸術家へ
ルネサンス意義は、教会の強い影響下にあった中世の学問と芸術を「世俗化」させてたことである。13世紀以降、学問と芸術の担い手は教会と修道院の聖職者の手から、都市の市民に移っていった。絵画においてもその作者は教会に属してイエスやマリア、聖人を描く職人の「手仕事」であったものが、独立した俗人による美の創造という「芸術」に移行した。一般に、俗人としてフィレンツェやアッシジ、パドヴァ、ローマなどで創作にあたった14世紀のイタリア人ジョットが「芸術家とみなされる最初の画家」であったとされている。<ジャック・ル・ゴフ/川崎万里訳『子どもたちに語るヨーロッパ史』ちくま学芸文庫 p.252 などによる>Episode ジョット、ナポリ王をやりこめる
1328年、フィレンツェの絵師ジョットはナポリ王国ロベルトに招かれ、ナポリに赴いた。新築の王館(カステロ・ヌオヴォ)の壁画を描くよう、注文をうけたからだった。当時名声高かったジョットは弟子たちを連れてナポリに赴き、城門の外に宿舎を与えられ、仕事を開始した。フィレンツェ人の職人たちのいきの良い仕事っぷりと漫才のような軽口交じりの話しっぷりが評判となり、国王ロベルトもお忍びで毎日現場を訪れるようになった。ある日のこと、王はジョットに自分の王国を絵にしてくれと頼んだ。ジョットは承知したが、どこか虫のいどころが悪かったのか、出来上がった絵はとんでもないものだった。それは、一匹の大きいロバが背に王家の紋章をつけた鞍をのせながら、前足のところにおかれた真新しい鞍をしきりに嗅いで、それをのせたがっているというものである。王は驚いて、「一体これは何だ」と聞いた。ジョットはすまして答えた。「これがあなたの王国です。ロバは国民です。国民はもう毎日、王様を変えたがっています」
王がどんな返事をしたか伝えられていないが、ジョットたちはなお四年とどまっていろんな絵を仕上げて無事フィレンツェに帰った。<会田雄次『世界の歴史7 近代の序曲』1961 中央公論社 p.1-3>