印刷 | 通常画面に戻る |

ボリス=ゴドゥノフ

16世紀後半、モスクワ公国のイヴァン4世(雷帝)の親衛隊長。雷帝死後の混乱に乗じ、1598年にツァーリとなる。その死後、ロシアの動乱広がる。

 ロシアモスクワ大公国で、1584年、イヴァン4世(雷帝)の死後、皇帝となったその子フョードルは統治能力が無く、貴族勢力が復活し、妃の兄のボリス=ゴドゥノフが台頭した。1598年、フョードルが死ぬと後継者がなくリューリク朝は断絶、急遽開かれた全国会議でボリス=ゴドゥノフが皇帝に選出された(在位1598~1605年)。彼はタタール出身の大貴族で、イヴァン4世の親衛隊員(オプリーチニナ)だった人物である。
 ボリス=ゴドゥノフは、実権を持ってから、モスクワ主教座をコンスタンティノープルから独立させ総主教座に昇格させ、白海のアルハンゲリスク港を拠点として外国貿易を開始したり、ヨーロッパから技術者を招いたり、留学生を送ったり、大学を設立するなどの開明的な政策をとった。しかし、1601年から始まるヨーロッパの冷害による大飢饉にみまわれ、社会不安が広がる中、ボリス=ゴドゥノフは皇帝フョードルの弟ドミトリーを暗殺した権力の簒奪者であるという汚名を浴びることとなり、1605年に失意のうちに亡くなった。モスクワではドミトリーを名のる偽者が皇帝となり(偽ドミトリー)ロシアは10年近い「動乱時代」に入る。
 ロマン主義の作家プーシキンが1824年に『ボリス・ゴドノフ』を発表し、近代ロシアの作曲家「ロシア民族楽派」のムソログスキーが歌劇『ボリス・ゴドゥノフ』を作曲しているように、文学や映画、音楽などでたびたびとりあげられるロシア史上の注目すべき人物である。