ステンカ=ラージン
1670年、ロシアのドン=コサックが起こした農民反乱。17世紀の危機の一つの現れであった。
1670年、ロシアのロマノフ朝(ツァーリはミハイルの次のアレクセイの時)に起こった農民反乱を指導したドン=コサックの首領。正しくはステパン=ラージン。あるいはスチュンカ=ラージンとも表記する。ステンカというのはステパンの愛称という。
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コサックの指導した農民反乱
コサックはロシアのモスクワ大国時代、農奴制が強化されて、農奴への収奪が激しくなったとき、自由を求めて南ロシアの草原地帯に逃れ、半農耕・半遊牧の生活を送るようになった人々をいう。それぞれの首長に率いられて、次第に地域的な武装集団となっていった。ドン=コサックとは南ロシアのドン川流域で活動していた自治的な戦士集団であり、たびたび黒海沿岸やカスピ海沿岸に遠征し、略奪行為を繰り返していた。ラージンの率いるドン=コサックは、ヴォルガ川中下流でロシアからの独立をめざして反乱を起こし、アストラハンを拠点としてロシア帝国に抵抗した。ロシアはそれまで、コサックに自治権を与え、トルコなどからの国境防備などに利用していたが、ラージンの反乱に対しては弾圧に転じた。ステンカ=ラージンは捕らえられ、翌年モスクワの赤の広場で、四つ裂きの刑で殺され、反乱後すべてのコサックはツァーリへの忠誠を誓わされ、その自治権は大幅に奪われた。ステンカ=ラージンの記憶は民衆の中に長く記憶され、約百年後の1773年に起こった農民反乱、プガチョフの反乱につながっている。 → 「17世紀の危機」ロシア民謡「ステンカラージン」
ステンカ=ラージンは、ロシア民族の英雄であり、民謡「ステンカラージン」は広く歌われている。作曲家グラズノフは交響詩ステンカラージンを作曲している。ロシア民謡のステンカラージンは日本でもよく知られているが、最近はあまり聞く機会がないので、ユーチューブで聞いてみましょう。日本語合唱 : ロシア語(映像付き) :