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プガチョフの反乱

18世紀後半、ロシアのエカチェリーナ2世の時にコサックのプガチョフが指導して起こった大規模な農民反乱。1775年に鎮圧された。

プガチョフ

プガチョフ

 1773年エカチェリーナ2世統治下のロシアで起こった大農民反乱。農奴制の強化、重税などのロマノフ朝絶対王政に対する農民反乱であった。その指導者プガチョフは、生きている「ピョートル3世」(エカチェリーナ2世によって廃され、直後に死亡したとされている)であると自称し、エカチェリーナ2世を帝位簒奪者として非難した。彼はドン・コサックであったので、呼びかけに応じて各地のコサックが蜂起、さらに帝国内のロシア人以外の民族や工場労働者まで支持を広げ、大反乱となった。1774年、オレンブルクで政府軍はプガチョフ軍に打撃を与え、プガチョフは捕らえられ、75年処刑された。反乱を鎮圧したエカチェリーナ2世はロシアの農奴制をさらに強化し、貴族との妥協を図った。
 なお、このプガチョフの反乱を題材とした小説が、プーシキンの『大尉の娘』(1836)である。