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ニスタットの和約

北方戦争での講和条約として、1721年のロシアとスウェーデンの間で締結された。ロシアはバルト海進出を果たし、スウェーデンはその覇権を失った。

 ロシアピョートル1世の時の、スウェーデンとの北方戦争1700年~1720年)の結果として1721年に締結された、講和条約。ニスタットは講和会議の開催されたフィンランドの地名。

ロシアのバルト海の覇権確立

 ロシアはリガを含みリヴォニア、エストニア、イングリア、カレリアの一部などバルト海沿岸の地域を獲得。スウェーデンはロシアに占拠されていたフィンランドを回復したが、賠償金の支払いの義務を負った。両国は商業の自由を約したが、ロシアは念願のバルト海進出を果たし、スウェーデンはその覇権を失った。ロシアの発展にとって重要な転機となる条約であった。
 ロシアとスウェーデンの間のフィンランドは、スウェーデン領であったが、東部カレリアおよび南東部をロシアに割譲した。

「バルト帝国」スウェーデンの覇権の終わり

 ロシアとの北方戦争は17世紀後半以来、「バルト帝国」と言われていたスウェーデンにとって大きな試練であった。若きスウェーデン王カール12世は大敵ロシアに立ち向かい、緒戦のナルヴァの戦いで勝ったものの、1709年ポルタヴァの戦いの決戦に敗れ、オスマン帝国に逃れた。長い亡命生活を送ったカール12世は、スウェーデンに戻るとロシアとは講和し、西方の敵デンマークに奪われたノルウェーを奪還しようとして遠征し、その戦場で流れ弾に当たって戦死した。  東のロシアと西のデンマーク・ポーランド・プロイセンと両面に敵を抱えたスウェーデンは、カール12世の戦死による王位継承問題もあって混迷し、まずデンマーク、プロイセンなど西側と講和し、さらにロシアとの講和に追い込まれ1721年の二スタート条約締結となった。
 ニスタット条約(ニースタード条約とも言う)によって、スウェーデンはロシアに占領されていた前ポンメルンの西半分、ヴィスマル、フィンランドは返還されたが、それ以外のバルト海対岸のスウェーデン領はすべて失われた。これによって永く続いた北方戦争は終わったが、それは「バルト帝国」スウェーデンの覇権の終わりであった。
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