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フィン人/フィンランド

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フィン人はウラル語族に属し、バルト海沿岸に定住、長くスウェーデンの支配を受け、19世紀からはロシア領となる。ロシア革命を機に1917年に共和国として独立したが、第二次大戦では枢軸国としてソ連と闘うこととなり、戦後も苦難の道が続いた。

 フィンランドは北欧諸国の一つで、国土の三分の一が北極圏に属する、森林と湖の国。民族のフィン人は、アジア系と言われるが、スウェーデンの支配やロシアの支配を受けた結果、現在では他の北欧の人々と区別はつかない。
 現在は広く北欧諸国に含まれているが、スウェーデン、ノルウェー、デンマークのノルマン人国家とは異なった文化と歴史を有していた。その国土の位置から、東にスウェーデン、西にロシアという大国に挟まれ常に脅かされてきた。特にロシアとは、19世紀初めにその支配を受けるようになり、20世紀にはロシア革命によって1917年に独立したが、1939年の第二次世界大戦の勃発とともソ連の侵攻を受け、きびしいソ連=フィンランド戦争を戦うこととなった。その後もソ連と直説国境を接する国として、厳しい対応を迫られることになった。
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(1)近隣諸国による支配

12世紀以来、スウェーデン、ロシアの圧力を受け続ける。

スウェーデンの支配

 長くフィン人の独自の社会が続いたが、1155年からスウェーデン王による「十字軍」が始まり、キリスト教化すると共に、スウェーデンの支配を受けることとなった。13~14世紀にはロシア国家の北上とともにギリシア正教の布教が始まり、しばらく両者の抗争がくり返され、フィンランドの北部がカトリック、南部がギリシア正教とに分かれる形となった。
 スウェーデンがカルマル同盟に属することになるとロシアの圧力が強まったが、1523年にスウェーデンが独立しヴァーサ王朝がはじまるとともにふたたびスウェーデン支配が強まりロシアの勢力は駆逐されると共に、スウェーデンと同じくプロテスタントが浸透していくことになった。
 バルト帝国と言われた17世紀の全盛期のスウェーデンによる支配が続く中、スウェーデン女王クリスティナは1640年トゥルクに大学を設けるなど、フィンランドの文化の向上に努めた。しかし、一方でスウェーデンがくり返した三十年戦争やデンマークとの戦争にフィンランドからも兵士を徴発され、その負担は大きかった。

(2)ロシアの支配

 18世紀に入り、北方戦争でスウェーデンがロシアに敗れたため、1721年ニスタットの和約で東部カレリアおよび南東部はロシア領に割譲された。このころからフィンランドの民族的自覚が始まり、反スウェーデンの動きが強まった。

ウィーン議定書

 ナポレオン戦争が始まると、ナポレオンは大陸封鎖令への参加の代償としてロシアのフィンランド領有を認めた結果、1804年にロシアが占領、フィンランドは事実上ロシア領となった。スウェーデンはフィンランドを支援したが、支えられず、1809年にフィンランドをロシア領とすることに同意した。ウィーン会議の結果、1815年に締結されたウィーン議定書で、フィンランドは正式にスウェーデンからロシアに移譲された。

ロシアの支配

 ロシアのアレクサンドル1世はフィンランドの自治を認めると発言し、フィンランド人に期待を持たせたが、ニコライ1世はロシア化政策を押しつけ、フィンランド語による出版を禁止したり、クリミア戦争での徴兵を強行した。アレクサンドル2世はふたたびフィンランドの自治を大幅に認める転換を行い、この間、フィンランドはパルプやタール産業、造船業などの工業化が進んだ。

(3)独立と苦難

1917年、ロシア革命でロシア帝国が滅亡したことを受け、12月に独立を宣言した。革命派と反革命派の激しい内戦があったが、1919年に共和国憲法を制定した。第二次世界大戦勃発とともにソ連軍の侵攻を受け、ナチス=ドイツに保護を求めたため、枢軸側に立たされた。

 その間、ロシアは自治を認める一方、たびたび強圧的な統治を行い、フィンランドの民族意識も次第に高まっていた。アレクサンドル2世の統治は比較的寛容であったが、20世紀に入り、次のニコライ2世の時代にはふたたび強圧策に戻った。派遣された総督ボブリーコフは汎スラブ主義に基づき、ロシア帝国のとってのフィンランド支配を徹底し、あらゆる自治権を否定していった。1900年には学校教育へのロシア語の導入が強制され、さらに翌年にはフィンランド軍は解散させられ、ロシア兵として徴兵令が布告された。その他、郵便事業、関税自主権、通貨発行権も取り上げられ、新聞の発禁が続いた。
シベリウス、「フィンランディア」作曲 フィンランド人の愛国心が高まる中、1904年にシャウマンというフィンランド人青年が総督ボブリーコフをピストルで暗殺するという事件がおこった。このころ、シベリウスは交響詩『フィンランディア』を発表し、それにこめられた祖国愛は熱狂的にフィンランド人に受け入れられた。ロシア帝国はフィンランドでのその演奏を禁止したが、曲名を変えていたるところで演奏された。シベリウス(1865-1957)はフィンランドを代表する作曲家、ヴァイオリニスト。フィンランド民族の伝統をもとにした民族音楽を高い作曲技法で表現し、現在もフィンランドの国民的支持を受けている。作品にはフィンランディアの他に、ヴァイオリン協奏曲、交響曲第2番、などがある。 → YouTube シベリウス作曲 交響詩フィンランディア
日露戦争 そのような中、1904年に日露戦争が起こると、日本の工作員明石大佐がロシア内部の革命派を支援するために派遣され、ヘルシンキなどで対露工作を行った。日露戦争中にはツァーリズムに対する批判はロシア国内で高まり、第一次ロシア革命が起こった。ロシアが敗北すると、フィンランドでも騒然とした革命の気運がみなぎり、ニコライ2世は弾圧政策を続けることができなくなり、1906年、フィンランドで自治議会が認められ、初めて総選挙が行われた。このとき、ヨーロッパでは初めて、女性参政権が認められた(世界で最初の女性参政権は1893年のニュージーランド)。独立に備えて義勇軍の訓練をスウェーデンに依頼したが、中立外交に転じたスウェーデンに拒否されたため、ドイツに約2000人の大学生が送られ訓練を受けた。<武田龍夫『物語北欧の歴史』1993 中公新書 p.161-164>

独立宣言と内戦

 1917年3月、ロシアで二月革命(三月革命)が勃発してロシア帝国が倒れ、11月には十月革命(十一月革命)ソヴィエト=ロシアが成立した。フィンランドの自治議会は、12月に独立宣言を出し、ソヴィエト=ロシアのレーニンらボリシェヴィキ政権は直ちにフィンランドを承認した。こうしてフィンランドの独立は達成できた。
 しかしフィンランド国内では独立派とロシア革命に倣った社会主義革命を目ざす革命派が対立し、白衛軍と赤衛軍と称して内戦が開始された。白衛軍はドイツとスウェーデンが支援、赤衛軍はソヴィエト=ロシア軍が支援して激しい内戦が続き、1920年6月にようやく停戦した。その間、1919年7月、フィンランド議会は新憲法を制定、共和国として発足した。第一次世界大戦後もソ連の脅威が続いたが、1932年にはソ連との不可侵条約が締結された。

ソ連=フィンランド戦争

 しかし、第二次世界大戦が始まると、ソ連ポーランド侵攻に続いて、1939年11月30日、フィンランドに対して侵入。「冬戦争」とも言われるソ連=フィンランド戦争が始まった。フィンランドは粘り強く抵抗したが、40年3月、カレリア地方の割譲などを認めて講和した。その後フィンランドは、ソ連の圧力に備えて、ナチス=ドイツに接近、41年6月、独ソ戦が開始されると、同調してソ連に侵攻した。しかしソ連軍に反撃され、44年、ドイツとの協力関係を解消することと領土割譲、賠償金を条件に講和した。これを「継続戦争」ともいう。この二度にわたるソ連との戦争でフィンランドは多くの犠牲を出し、国力を消耗、しかもドイツに協力したため枢軸国側に立って敗戦国としての立場に立たされることとなった。

フィンランドの文化

 19世紀前半、フィンランドの民族意識が高まる中で、レーンロートという医師がカレリア地方の口承詩歌を採集し、『カレワラ』として出版した。カレワラはカンテーレという弦楽器を弾きながら歌うもので、民族的な英雄物語であった。長いロシアとの戦いの中で歌い継がれ、ソ連=フィンランド戦争のときも戦場で兵士が口ずさんでいたという。また20世紀初頭のシベリウスが作曲した愛国的交響詩『フィンランディア』は、ロシア当局によって演奏禁止とされた。<武田龍夫『上掲書』p.156,162>


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フィンランド(4)戦後のフィンランド

第二次世界大戦で敗戦国という困難な立場にたたされたが、ソ連との関係に配慮しながら中立外交を展開。1975年のヘルシンキ宣言など、欧州の安全保障に重要な役割を担った。EUには加盟したがNATOには加わっていない。

フィンランド国旗
 フィンランド北欧諸国の一つ。もとはフィン人の国。面積は日本よりやや少なく、人口は約500万。首都はヘルシンキ。国土は3分の1が北極圏に属し、「森と湖の国」として知られる。国語はフィンランド語、宗教はプロテスタントのルター派が国教。一部にスウェーデン語を話す人々やギリシア正教系のフィンランド正教の信者もいる。

戦後のフィンランド

 第二次世界大戦の敗戦後、フィンランドは連合国軍管理委員会(実体はソ連軍)の監視と干渉のもと、1947年にパリ講和条約を締結した。またマーシャル=プランの受け入れも認められなかったにもかかわらず、過酷な賠償を独力で完済し、ソ連とは友好協力相互援助条約を結びながら、パーシキビとケッコネンの二代の大統領の下で積極的中立外交を開始し、1955年には国際連合に加盟した。
ヘルシンキ宣言 国内では左右両派の対立が続き、冷戦の中で常に微妙な立場にあったが、積極的中立外交は一定の成果を見せ、1975年の全欧安全保障会議(CSCE)はヘルシンキで開催され、ヘルシンキ宣言が出されるなどの成果を見た。1995年1月1日にはスウェーデン、オーストリアと共にEUに加盟、さらに共通通貨も導入した。しかし、ロシアと隣接するというその宿命的な位置関係から、軍事機構であるNATOには加盟しないままであった。

Episode 携帯電話で知られるノキア

 世界中で販売されている携帯電話の37%(2000年代初頭)を製造するノキア社は、今や巨大な多国籍企業となった。その社名はフィンランド南西部の小さな町の名に由来している。1990年ごろにささやかに事業を始め、今日ではノキア製品は地球上に張りめぐらされた目に見えない網の目に、10億の人々を結びつけている。ノキアはフィンランド経済の原動力であり、株式時価総額の3分の2,フィンランドの輸出の5分の1を占め、2万2千人(ノキアとの取引に依存する企業でも2万)を雇用し、フィンランドの税収の大部分は同社からのものであり、年間売上高250億ドルは国家予算額にほぼ匹敵する。ところが近年、ノキアの成長が鈍ってきたため、フィンランド市民はノキア経営陣が政府に法人税の引き下げと同社の手厚い福利制度を放棄するのではないかと懸念している。2007年、ノキアはシーメンスと合併して、フィンランドの福祉制度を危険にさらすことなく、低成長の中にも独創性のあるやり方を見いだしつつあるように思われる。<マンフレッド・B・スティーガー/桜井公人他訳『新版グローバリゼーション』2010 岩波書店 p.59">

フィンランド(5) 現代のフィンランド

ロシアとの緊張再び

 2022年2月24日ロシア連邦プーチン大統領によるウクライナ侵攻は、ヨーロッパの情勢を大きく変化させる引き金となった。ロシアと全長1300キロにおよぶ国境を接するフィンランドは、当事国ウクライナ以外で最も強い衝撃を受けたと言えるだろう。

NATO加盟へ

 2022年5月15日、フィンランドのニーニスト大統領とマリン首相は共同記者会見を開き、北大西洋条約機構(NATO)に加盟申請する政府方針を決定したことを明らかにした。隣国のスウェーデンも翌日、約200年におよぶ中立政策を転換させ、NATO加盟申請を決定し、両国同時の加盟申請となった。これが実現すれば北欧諸国のすべてが加盟することになり、バルト海をめぐる情勢は大きく変化することとなる。NATO加盟には加盟国(30国)すべての同意が必要であるが、トルコ共和国がフィンランド・スウェーデンがトルコ内の反政府勢力クルド人を支援していることを理由に、両国の加盟に難色を示していて調整の必要がある。アメリカ・イギリスは強く支持しているほか、NATOのストルンベルク事務総長は歓迎しており、同意が得られるとの見通しを示している。<朝日新聞ほか各紙報道 2022.5.16>

NewS NATO加盟実現

 2023年4月4日、フィンランドの北大西洋条約機構(NATO)加盟が実現、31番目の加盟国となった。ブリュッセルのNATO本部では記念式典が行われ、フィンランドの国旗が掲揚され、サウリ=ニーニスト大統領が演説、「フィンランドの加盟は、特定の誰かを標的にしたものではない」とした上で、「フィンランドは行動が安定して予見しやすい北欧の国で、紛争の平和的解決を目指す。フィンランドにとって重要な原則や価値は、今後も我々の外交の指針となる」ことを強調した。
 フィンランドとロシアの国境は1340キロに及ぶ。フィンランドの加盟によって、NATO加盟諸国とロシアの国境の距離は倍の長さになった。北大西洋条約の第5条により、フィンランドが攻撃された場合には、アメリカを含むNATO全加盟国がその防衛に協力する義務が生じる。フィンランドのNATO加盟は、2022年2月24日のロシアのウクライナ侵攻によって一気に実現したが、このことはロシアにとって大きな脅威になるので、「ロシアの安全保障と国益を侵害するものである」と反発している。 → BBC News 2023/4/5
 NATOの拡大は、次に同じバルト沿岸国であるスウェーデンが申請しており、実現すればバルト海沿岸が、ロシア領カリーニングラードを除き、NATO加盟国で占められることになるので、ロシアはさらに敵意を強めることが予想されている。
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武田龍夫
『物語北欧の歴史』
1993 中公新書

石野裕子
『物語フィンランドの歴史』
2017 中公新書

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