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国債

1694年にイギリスがイングランド銀行を設立、対仏戦争の費用に充てたことに始まる。

 債を発行して国の財政にあてるという制度を最初に確立したのはイギリスだった。イギリスでは名誉革命後の1694年、ウィリアム3世の時に、第2次英仏百年戦争とも言われる、ヨーロッパ大陸及び植民地でのフランスとの植民地戦争に突入した。その時、地主や産業資本家の支持を受けたホイッグ党が多数を占める議会で、イングランド銀行の設立が可決された。これは地主や産業資本家、および当時関係が良好になっていたオランダのアムステルダムの商人たちから国債を募集する際の引受銀行として設立されたものである。イギリスはこれによって財源を確保し、18世紀に長期にわたるフランスとの戦争を戦うことが出来た。この国債は近代から現代に至る国家が戦争を遂行する際の財源として利用され、それを買うことによって利息を得る富裕階層と、その返済にあてられる税を負担しなければならない国民大衆というゆがみを生じることとなる。

カントの戦時国債禁止論

 このような国債の発行が、さらに戦争の要因となることを見抜いたカントは、すでに早く、1795年に発表した『永遠平和のために』の中で次のように主張して、戦時国債を禁止すべきであると訴えている。
(引用)・・・そもそもこうした信用システムは、18世紀にある商業国(イギリスのこと)が発明した賢い手段であるが、列強が力を競いあうための道具としてこのシステムを利用した場合には、かぎりなく負債が増大する危険がある。・・・国債の発行によって戦争の遂行が容易になる場合には、権力者が戦争を好む傾向とあいまって(これは人間に生まれつきそなわっている特性のように思える)、永遠平和の実現のための大きな障害となるのである。だから国債の発行を禁止することは、永遠平和のための準備条項としてぜひとも必要なことだろう。国債を発行しつづけた国家が破産するのは避けられないことであり、これは国債とはかかわりのない諸国をまきこんで、公的な損害を与えることになるのである。・・・<カント『永遠平和のために/啓蒙とは何か他3編』中山元訳 光文社古典新訳文庫 2006 p.154>
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書籍案内

カント/中山元訳
『永遠平和のために/啓蒙とは何か』
2006 光文社古典新訳文庫