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カント

18世紀ドイツの哲学者。主著三批判書などでドイツ観念論を大成。1795年の『永遠平和のために』では常備軍の廃止、国際的平和維持機構の設立などを提唱した。

 1724年、プロイセン王国の東プロイセン、ケーニヒスベルクで産まれた。この地は現在はロシア領でカリーニングラードと呼ばれている。当時はベルリンと並ぶプロイセンの文化、学術の中心都市であったが、ロシアの影響も強く受けていた。1740年、16歳でケーニヒスベルク大学に入学、その年にはフリードリヒ2世がプロイセン国王となり、オーストリア継承戦争が起こっている。ライプニッツの影響を強く受けながら哲学研究――主に認識論といわれる――に没頭、、1781年に57歳で主著『純粋理性批判』(第一批判)を発表、以後、1788年の『実践理性批判』(第二批判)、1790年の『判断力批判』(第三批判)のいわゆる三批判書を著した。カント哲学は、ヨーロッパの認識論哲学の流れの中にあった、イギリス流の経験論とフランスやドイツの大陸側で発展した合理論という二つの流れを批判的に総合したものと言うことができる。彼が用いた批判という手段と、総合した認識論の高みはヘーゲルの弁証法哲学に継承されていく。
 カントはいわゆる批判哲学を展開しながら、それと密接に関わるテーマとして歴史認識や平和の問題にも深い思索を行い、『啓蒙とは何か』(1784年)、『世界市民という視点から見た普遍史の理念』(同年)、『永遠平和のために』(1795年)など、近代に大きく転換しようとしていた世界への洞察を加えている。単なる観念論哲学者としてだけではなく、現代の我々の課題に共通する問題意識を持っていた思想家としてとらえ、その国家や世界平和のあり方に対する現実的な提言を見ておきたい。

『永遠平和のために』

 カントは、主著である三批判書『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』を書き終え、晩年に近づいていた1795年4月、フランス革命中のフランスとカントの母国プロイセン王国との間に講和が成立し、バーゼル平和条約が締結された。しかしカントはこの条約は「将来の戦争の種をひそかに留保して締結された平和条約は、決して平和条約とはみなされてはならない」と考え、永遠平和を確立することは可能か、そしてそれを如何にしたら実現することができるのだろうか、と真剣に考えた。その思索の成果が同年中に敢行された『永遠平和のために』であった。彼はその際に18世紀初頭に永遠平和の実現を目指し「ヨーロッパ諸国連合」を提唱したサン=ピエールを参照し、その批判的検討を進めた。 発表当時からカントの平和論は机上の空論に過ぎないとして実務的な政治家と一般大衆から無視されてきたが、20世紀になって世界が二度の大戦を経験する中で国際連盟、国際連合、そしてヨーロッパ連合を構築するようになって、ようやく関心を集めるようになり、その先見性が高く評価されるようになった。
 『永遠平和のために』は文庫化され、短いものなので是非手に取って読んでほしいが、その中で官途が具体的に提唱したポイントをまとめると次のようになろう。
  • 常備軍の廃止 永遠平和を実現する予備条項はまず常備軍を廃止することである。常備軍の存在は他国に戦争の脅威を与え、そこから双方が軍備の拡張に向かい、軍事委の増大が国内経済を圧迫し、またそれを避けるために先制攻撃が行われる。(官途は別な著作では軍事力の均衡による平和の維持は妄想に過ぎないといている。)ただし、カントは同時に国民が自発的に武装し自国の防備に当たることは否定していない。
  • 共和政国家 永遠平和を保障する条件として共和政国家であることを挙げる。戦争が君主の恣意的な選択に委ねられている君主国家ではなく、国民が主権者として国政に関わることによってのみ、国民にとって「割りにあわない賭け事」である戦争を避けることができる。
  • 自由な諸国家間の連合 自由な共和政国家が独立した単位として世界共和国を形成することができれば、永遠平和の維持にとって最も理想的である。後の国際連盟、国際連合、そしてヨーロッパ連合にいたる理念の源流の一つがここにある。
  • 世界市民 永遠平和の維持には、人間は世界市民としてどの外国でも訪問することができ、それを受け入れる必要がある。訪問国に好感を持たれないような訪問は国外退去になってもやむを得ない。ヨーロッパ諸国が植民地に対して行っていることは世界市民法への明白な違反である。そのような場合に外国からの訪問を拒絶するのは正しい。その点からいえば、中国や日本の鎖国政策は賢明な措置である、と評価している。
  • 自然が永遠平和を保証する 民族、言語、宗教の違いという「自然」状態に従い、尊重し合うことで、国家権力間の争いは防止できる。また商業活動という人間の自然の欲求は、戦争ではなく平和によって補償される。このように自然の機構に従うことで永遠平和は保障されので、決して不可能な理想論ではない。自然は永遠平和を望んでいるのであり、自然に生きることが永遠平和を実現することである。
  • 自由な言論と事実の公開 戦争や平和の問題に自由に論議できること、政治において隠し事がないこと、これらも永遠平和の実現、維持に必要なことである。正義は常に公表性と結びついている。
<カント/宇都宮芳明訳『永遠平和のために』1985 岩波文庫 宇都宮市の解説を参照>
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カント/中山元訳
『永遠平和のために/啓蒙とは何か』
2006 光文社古典新訳文庫